--犬の糞とタバコの吸い殻--
筆者は自宅で3歳の雄の柴犬を飼っています。名前は「陸太」で、強そうな名前ですが、実はとても弱虫です。散歩中に他の犬からよく吠えかかられることがありますが、自分から吠えかかることは絶対にありません(躾が良いせいでしょうか?)。また、散歩中に向こうから大きくて怖そうな犬がやって来ると、盛んに自分の付近をくんくん嗅ぎ回って忙しそうにして知らんぷりでやり過ごそうとします。このような性格は、飼い主(筆者自身!)によく似ていると言われます。
ところで、犬のお散歩は、おしっことうんこをさせるためにあるようなものだということをご存じですか?恐らく一度でも犬を飼った経験がおありの方はよくご存じだろうと思います。さて、この犬の排泄物(ちょっと汚い話で申し訳ありません)の始末で、とても困った問題が起こることがあります。そうです。犬の糞を道端にそのまま残して行く心ない飼い主が少なからずあるのです。
筆者自身は犬の糞をどうしているかですって?もちろん、ちゃんと持って帰ります。犬の糞を上手に回収する方法は?犬が排泄したうんこを手で受けるのが最も効果的です。え?素手で受けるのかって?絶対にそんな汚いことはしません!トイレットペーパーを束ねたもので受けるのですが、それも汚れても良い手袋をしてです。犬がうんこをする時は、たいていその前にしばらくせかせかして位置を決め、ぐっと腰を落とすのです。このタイミングを外さなければ糞を地面に落とすことは滅多にありません。
もっとも、筆者の小さい頃、犬はたいてい放し飼いで、自分で勝手に散歩に出て勝手に用を済ませてきたものです。その頃は、まだ交通も激しくなく、「犬も歩けば棒に当たる」程度の危険性でしかなく、かなりのんびりとしたものでした。ですから、犬は有り余る野良でいつでも気持ちよく用を足すことができたのです。そして気ままな散歩コースの途中で犬好きなお宅の玄関や庭先などにおじゃまして愛想を振りまきつつ好物の煮干しなどをいただくというような優雅な生活を送っていたものです。ちょうど忠犬ハチ公のような、飼い犬とは言え、全く繋がれた生活は強いられなかったのです。
ところが近年、自動車が増え、放し飼いの犬が交通事故に遭遇する危険が増えました。また都会の無機質的な生活様式が浸透した結果、昔で言えば隣組的な絆が崩壊してしまいました。放し飼いで闊歩していた犬や猫たちは、ちょうど昔のお隣同士のそういうほのぼのとした絆の間を自由に動き回り、そういう絆の存在を具現化していたのかも知れません。
しかし、好むと好まざるとに関わらず、世の中は大いに変わってしまいました。今の都会の生活の中で、犬の糞を平気で道に残して行くような人は、恐らく愛煙家ならばタバコを道端に平気でポイ捨てするか、あるいはそばの他人をはばからずに自分の欲求に任せて喫煙するような人でしょう。
このような一部の公衆道徳を守れない自己中心的な人達のお陰で、全ての愛犬家と愛煙家が白い目でにらまれることになるのです。筆者は一個人としても禁煙キャンペーンの推奨者ですが、愛煙家の中でも周りに気を遣いながら忍耐強く喫煙を楽しんでおられる方達を知っています。もっとも、犬の糞は人に害になる訳ではありませんが、タバコは間接的喫煙でも人に危害を加え得るということで、共に嫌悪すべきものですが、与えられる被害にはかなりの差があります。
喫煙については、アメリカ・カナダではとにかく愛煙家は白い眼で見られ、むしろ蔑んで見られる傾向がありますが、一方ヨーロッパではそれほど嫌われてはいないようなのです。古い石畳の上に、よくタバコの吸い殻が落ちているのを目にしますし、また犬の糞にしても、聞いた話ですが、パリでは堂々とそのまま道に残して行く方が多いのだそうです。時代と場所によって、人の持つ嫌悪感というものも多分に左右されるものであることは確かのようです。
「ペイ・フォワード」という映画で、主人公の少年が世の中を良くする方法として思いついたのが、「他人から善行を受けたら、他の3人に善行をする」という鉄則です。これによって一見世の中が明るく良くなるかのようにみえたのですが・・。しかし、この映画を見て考えたのですが、もし善行ではなく何か不愉快なことを他人から受けたら他の3人に何か不愉快なことを味あわせるというドグマを実行するとしたらどうでしょう。何か悪魔的で「不幸の手紙」のような不気味さが漂いますが、今の都会のぎすぎすした人間関係の中では、何だかそのようなことが無意識の内に起こっているような気がします。
雨を吸ってどろどろした犬の糞を踏んだ人が、あるいはタバコの吸い殻の散らかる汚い道を歩いた人が、どれだけ嫌な気持ちを味わうか、そしてその気持ちをどこでどう発散、解消させるか、考えたことがありますか?
ペイ・フォワードの考え方と同じようなことは、無意識に日頃誰もがごく些細なことならやっているのではないかと思います。そして、それと全く逆のことも無意識にやっているのではないでしょうか。何か不愉快なことがあったとき、顔は無意識に苦み走り、知人に挨拶されても気分に任せて仏頂面で無視するというようなことは、日常よくやっていることではないでしょうか。
犬の糞とタバコの吸い殻。共に些細なものですが、ごくありふれた嫌悪感を催させるものとして、現代の人間社会の特異さを反映しているのかも知れません。
(写真は、我が家の番犬陸太君の勇姿です・・)