ドク・オーチャンの独り言(その10)


--子ども達のリヴェンジが始まっている!--

 6月20日に「LD・ADHDは病気なのか?」を出版して、はや1カ月半が過ぎました。その間、いろいろなご感想をいただきまして、どうもありがとうございました。
 初めは、もっとご批判をいただくものと思っておりましたが、今のところ意外に好評?のようです。内容の一部が難解だったというご意見(申し訳ありません)以外には、筆者自身かなり辛辣な事を書いたように思っていたことに対して、全くご批判はいただいておりません。
 きっと、教育学、心理学、精神医学を専攻されておられる先生方からのご批判をいただくものと思っておりましたが、ほとんどありませんでした。もっとも、まだそういう先生方にはほとんど読まれていないということかも知れませんが。

 実は、筆者自身、長崎の事件で中学生が補導された時にふと感じたことがあります。それは、あの事件が、LD・ADHDをスケープゴートにするような発展を招かないと良いのだが・・、ということでした。ある情報によると、どうもあの時感じた筆者の予感が現実のものとなって来ているようで、とても心配です。筆者自身の取り越し苦労だけだとよいのですが。あの少年は、一方で、文部科学省の推進する学力向上策については、最も理想的な成果を挙げていたということが、またとても皮肉な現実を物語っているようです。
 既に一部の都市の小・中・高等学校で学童のLD・ADHDに関する現場教師達の評価による実態調査が実施されているようなのです。しかし、なぜこのことを一般に対してもっと大きく公表しないのか、不思議でなりません。もし、きめ細かい教育的支援を提供するためであり、真に個々の学童のこと考えてやっているというのなら、もっとこのような調査の模範としても公表してやるべきだと思うのですが。そのようにしないところをみると、何かもっと別の目的があるように思えてなりません。考え過ぎなのでしょうか?
 また、LD・ADHDについて、たとえ素人でも簡単に判定できる診断評価基準であっても、その内容は、かなり個々の生徒を普段からよく観察していないと、正確に判断できるものではないと思います。大人数の学級を抱えている多忙な教師達に、それだけ細かくしかも長期にわたり個々の学童の動向を観察する余裕があるのでしょうか。このような点からも、この調査の結果が一体何を目的にしたものなのか、そしてその曖昧な結果を一体何に利用しようとするのか、大いに疑問が湧いて来てしまいます。

 そもそもLD・ADHDの正確な診断は、やはり専門の医師に委ねるべきであり、教師が自分の管理しにくい生徒をカテゴライズするための病名ではないと思います。筆者がLD・ADHDに関して我が国の実情で最も懸念する結末は、文部科学省によるこのような実態調査が、ジョージ・オーウェルの問題小説「1984年」の内容もどきを現実のものにしつつあるのではないか、ということです。即ち、最新の心理学・精神医学を基にした思考監視システムの構築です。しかし筆者があまりにも悲観的に取り過ぎなのでしょうか。

 筆者は、あくまでも最も単純な対応策として、優秀な子ども好きの教師をたくさん養成し、待遇良く働けるような少人数の学級を作ることこそが最も手っ取り早い得策だろうと思います。もう一つの大きなそして差し迫った対応策は大学入試制度の根本的な変革だろうと思います。この大改革なくしては、現代の歪みきった教育制度の改善はあり得ないと思うからです。
 昨今の小中学生の事件は、大人達にとってもとてもショッキングなものです。これらの事件は、今や、これまであまりにも蔑ろにされ続けてきた子ども達による「リヴェンジ」が始まっていることを意味しているのではないでしょうか。これらの現象に対して、大人達はもっと真摯に受け止め、厳しい反省の念を込めて「未来のために」慎重に対応していかなければならないでしょう。

(写真は夏に人気のカブトムシ、スーパーに行けば買えるよ!)



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