ドク・オーチャンの独り言(その12)


--実りの秋--

 抜けるような青空を背景にススキの穂が揺らぎ、竹の物干し竿の先に赤トンボがちょこんと留まる・・、うーん秋ですね。
 こんな光景を見ると、ふっと想い出すのが幼かった頃の秋の光景です。秋は実りの季節で、いろんな食べ物が実って食べ頃になります。昔の田舎ではこの季節になると嫌と言う程にどこにでもあった秋の味覚が、今は八百屋さんかスーパーでびっくりする位の値段で売っています。

 サツマイモ、あるいはスウィート・ポテトも代表的な秋の味覚です。イモのツルを引っ張ると面白いほどに、本当にイモヅル式に赤紫のお芋が土の中から飛び出してきます。これを川のせせらぎで良く洗い、赤紫の薄皮の下のやや厚い肉皮をかじって剥くと、甘い中身が生(なま)でも食べられました。好みの差はあるでしょうが、恐らく畑から掘りたてのものなら、今でも美味しく食べられるでしょう。当時その季節になると、毎日のおやつが蒸かしイモで、いいかげん嫌になっていました。蒸かしたてのアツアツに塩をふったり、バターを塗ったりして食べていましたが、有り余るほどあってはやはり有難味が無くなってしまいますね。

 もう一つ、似たような味の実がクリです。これも自宅の敷地内にクリの木が何本もあったので毎朝クリ拾いに行き、バケツに山盛りになる程のクリを集めて来ました。それをゆでてもらって皮を剥いて食べるのですが、面倒くさいので困りました。しかし甘くて美味しいのでついつい食べ過ぎてしまうせいか、口角炎を起こすことがよくあり、「カラスに口を突かれた・・」とか言われたようです。クリもまた、完熟してイガから落ちる前の少し茶色くなった位のものが、生で食べると実に甘くて美味しいのです。しかしこの場合、まだ白っぽいままの渋を爪で剥かなければなりません。完熟したものと比べるとはるかに剥きやすいのですが、なかなか完全に剥き切るまでに根気の要る作業です。しかし、渋を剥き切ったうす黄色の艶のある実を頬ばったときのあの味覚は何とも言えません。
 このような生のサツマイモやクリの甘さや歯ごたえは、田舎で暮らしたことがないとその真価が分からないでしょう。田舎暮らしの辛さの中でしか存分に味わうことができないのではないでしょうか。

 もう一つ、やはり大きな木が何本かあったので楽しめたのがクルミです。クルミは梅の実の倍程の大きさで、紡錘形の青い実が枝の先端に連なって実ります。これを竹竿などでたたき落として一旦土の中に埋めます。何週間か後に掘り出すと、果肉の部分が黒く腐って融けていて、よく水洗いするときれいなクルミの実が(実は種ですが)できます。普通のクルミの殻は非常に堅いもので、金槌で叩いて割らないと中実は出せません。この中身をうまく出すにはいろりで炒るのが一番でしょう。自在鍵に掛けた炒り鍋にクルミを入れてガラガラとしばらく炒っているとそのうち熱くなって殻が二つに割れてきます。こうなったものを少しさましてからこじ開けるとうまく中身が出せることがありますが、あるいは他にももっと良い方法があるのかも知れません。今、よく観光地のお土産屋さんで売っているのは、カシクルミ(外国産?)という殻の柔らかい種類で、簡単に潰して中身を取り出せるものです。しかし、恐らく普通のクルミの方が殻が堅い分だけ渋みが強く味わいもひとしおではないかと思います。

 あと、もう一つどうしても秋の味覚の中に加えたいのがミョウガです。筆者にとって、秋の味覚の中でこれ程食欲をそそる食材はありません。嫌いな人は多分箸も付けないでしょうが、筆者は正直なところ丼一杯でも一挙に食べられます。食後に残る口の中のイガライ感じが何とも言えません。これはもはや尋常な嗜好ではない、アブナイのではないか、と思われても仕方がありませんね。昔、田舎宿で客にミョウガを食べさせたら宿賃を払い忘れたとかいう謂われがある程に、何か人を夢中にさせる成分のある食材なのかもしれません。ミョウガも昔自宅の敷地内の藪にいくらでも生えていました。しかしミョウガの生える藪にはヤブ蚊も多数生息し、蚊に刺されながらの涙ぐましいミョウガ採集の結果としての味わいもまた格別なものでした。今はやはり自宅の敷地内にわずかに取れますが、お蕎麦の辛味位の量しかありません。この季節に、妻の実家と母の実家から相次いで届く貴重なミョウガを感動と共に噛み締めている今日この頃です。

 こんなお話しをしていると、思わず涎が出てきてしまいますね。食欲の秋は良いのですが、皆さん、その後の身体の変調にはくれぐれもご用心を

(写真は紅葉と栗です)



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