ドク・オーチャンの独り言(その17)


--しみ渡り--

 今月もドク・オーチャンの、子どもの頃の早春のお話しです。

 もう2月も終わり、はや弥生(やよい)3月です。でも、ドク・オーチャンが生まれ育った越後妻有(つまり)の里(新潟県十日町市)では、その頃でもまだ数メートルの積雪がありました。とはゆうものの、さすがに3月に入ると南風が吹き始め、雪の表面はどんどん溶け出して、ざらめになってきます。そして、お天気の良い早朝には、この雪の表面がカチンカチンに凍り、厚くて強力な氷の板が雪の上一面にできるのです。このことを妻有の里の方言で「しみる」と言います。つまり、水や雪が凍り付くという意味です。

 この「しみた」雪が、子どもたちに無限の遊び場を提供するのです。ふだんは降り積もった雪は柔らかく、足を踏み入れるとズブズブと長靴が沈んで行ってしまいますが、何と、この「しみた」雪は子どもがいくらジャンプしても穴が空かない程固いのです。ちょうど、もっと寒い地方で池や川の上に氷が張って歩いて渡れるようになるのと同じ現象です。でも、ただ川や池の上だけではなく、ふだん歩いて侵入できないような場所でも、雪が高く降り積もっていてまるで境界がなくなり、どこもかしこもただ一面の雪の原になっているのです。

 子どもたちは「しみたか(凍っているか)ホーイ?、しみねか(凍っていないか)ホーイ?」と大声で歌いながら寒風吹きすさぶ快晴の早朝、薄橙色の朝日を浴びながら、白い息を切らして、ところかまわず走り回り転げ回るのです。そうゆう時は、本来のスキーではだめで、竹に紐を付けて作った簡単な竹スキーが丘を滑り降りるにのはもってこいです。そういう日はふだんの通学路などはまるで無視され、かなりの遠回りをして学校までたどり着くことになります。

 この「しみ渡り」の頃になると、大木の根元の雪は木の熱で早く溶かされて、地面がわずかに見えてきます。するとその木の根本に現れた黒い土の中から、いち早く「フキノトウ」が顔を出すのです。このまだ弱々しい薄黄緑色が、雪に降り込められたモノクロの世界を、一瞬にしてに変えるのです。この、モノクロがカラーに変わるという非常に感動的な季節の変化は、そこに住む人々の心の中にも鮮やかに沸き起こって来るのです。

 「十日町小唄」という有名な民謡がありますが、ご存じですか。その歌詞の一節に「雪が消えれば越路の春は 梅も桜も皆開く わしが(私たちの)心の華(花)も咲く・・」この歌詞には、雪国の春の想いが、モノクロの世界がカラーの世界に変わるという、じっと堪え忍んできた冬の厳しさ辛さ春の喜びと幸せに変わるという、何ものにも代え難い感動が込められているのです。

 昔はまだ馬そり!がありました。畑の上の雪をどんどん下へ掘り進んで、まだ雪の底に眠っている水を吸った真っ黒な土を掘り起こし、そりの荷台に積み上げます。ちょうどこの数メートルの雪の縦穴がタイムトンネルのように1〜2カ月未来の春につながり、その春の一部をまだ冬の現在にこっそりとタイムスリップさせて持ち帰ってくるような感じがします。この十分に水を吸い込んだ真っ黒な土の臭いも、また一足先に春を運んで来るのです。そして畑や田圃が埋もれているあたりへ馬そりを引いてきて、その黒い土を雪の表面にまき散らします。一見、白い雪の表面が黒い土にまみれて汚くなるのですが、この黒い土が太陽光線を吸収して熱源となり、その部分の雪をいち早く溶かしてくれるのです。こうして、土を撒いた田畑はまるで時間の流れが速まったかのように先に雪が消え、春の農耕が早く始められるのです。その後、大陸の黄砂が舞い降り、雪国の春は遅ればせながらラスト・スパートをかけてやって来るのです。

(写真はフキノトウです)



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