ドク・オーチャンの独り言(その19)


--黄桜の丘--

 「目に青葉、山ホトトギス、初鰹」、という薫風の季節になりましたが、今回はちょっと季節のラグを書かせて下さい。

 黄桜というのをご存じですか?実は、筆者もそのとき初めて知ったのですが、日本酒の商品名「黄桜」は、そこから来ているのでしょう。黄桜という言葉はその商品名で覚えていても、本当に黄桜なるものが存在するのかどうか、疑っていた方も多いのではないでしょうか?筆者もその一人でしたが、この程、ちょうど「みどりの日」に信濃川流域にかかる、ある大きなダムを見に行った時に、その実物に初めてお目にかかりました。ダムの下流の片方の信濃川岸に、何やら黄緑がかった花が満開の並木があるようなので立ち寄ったところ、「黄桜の丘」という看板が出ていて、数組の家族が両側の並木の真ん中にある芝生の上でお花見をしていました。

 話によれば、有名な大阪の造幣局の通り抜けにも、これと同じ種類の黄桜があるということでした。以前、勤務していた京都の国立宇多野病院の敷地内に、緑色の花が咲く桜がありました。それは、むしろ桜の原種に近いものだと聞いていました。しかし、黄桜も、緑の花の咲く桜も、華やかさは控えめで、むしろ桜としては地味な感じの花です。それを人々がもてはやすとすれば、むしろ珍しさからだろうと思います。黄桜の丘の並木道には、お花見とはいえ、一風変わった情緒がありました。

 話はまるで違いますが、その黄桜の丘のそばには、信濃川水系で一二を競う大きなダムがあります。このダムの水は大きなトンネルを通って下流の発電所に送られます。その発電所でできる電力のほとんどは、大半がどこで消費されるかご存じですか?実は、長距離の送電線を伝って関東まで運ばれて東京圏で消費されるのです。信濃川流域電源開発と称して日本最長で最強の水系を利用した水力発電は、昭和初期に大規模な工事が行われました。それによって当時の首都圏の電力供給は格段に増大し、帝都東京は不夜城を実現させました。しかし、そのお陰で信濃川は萎え、押し寄せるほどに見られた鮭の群れもいつしか消えてしまいました。かつて日本最長を誇った激流高き信濃川は、今やまるで枯れ果てた泥の色をしたみじめな河に成り下がってしまいました。かつての信濃川という荒くれ竜はその精力を戦前の東京に完全に吸い尽くされてしまったのです。

 で、今はどうかといいますと、世界屈指のメガロポリス「トキオ(東京のこと)」のエネルギー消費は、もはや水力発電や火力発電のわずかな電力ではまかないきれず、またもや新潟県のエネルギーを吸い尽くそうとしているのです。それは、柏崎・刈羽原発です。この新潟県の海岸線のちょうどど真ん中にある原発が、世界一の発電量(最近までのデータによれば)を誇る巨大原発だということをご存じでしょうか?地元柏崎の(一部の?)住人は、お陰で巨万の報酬?をいただいたようですが、代わりにチェルノブイリの悪夢にさいなまれることにもなりました。この原発で作られた桁外れの電力は、まるで中央山脈をよぎって立ち並ぶウルトラマン・ファミリーのような巨大鉄塔にかかる百万ボルトの送電線を伝って直接関東圏に送られるのです。

 そして、例の六本木ヒルズの回転ドアーをはじめ、お台場の百万ドルの夜景、東京メトロの電車のモーター、東京ドームのナイター照明など、現在の東京のエネルギー消費をほとんど一手にまかなっていると言われます。東京は、今も昔も中央山脈の裏にひっそりと存在する新潟県が縁の下の力持ちとして支えているのです。新潟県からの膨大なエネルギー供給が途絶えれば、東京はもはや立ちゆかなくなるのです。ですから上越新幹線や関越自動車道ができたのは考えてみればしごく当たり前のことでしょう。東京の人たちは新潟県に感謝すべきではないでしょうか。そしてもっと新潟県に見返りがあってしかるべきではないでしょうか。

 黄桜の丘で川風に吹かれながらこんなことを考えてしまいました。


(写真は黄桜です。バックのピンクと比べるとわずかに黄色く見えます)



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