ドク・オーチャンの独り言(その21)


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 筆者が小学校低学年までの頃は、まだこの時期になると、がたくさんおりました。雨上がりでまだ草の葉がしっとりと濡れている夕方、日が暮れてあたりが真っ暗になった頃です。家のベランダから眼下に広がる、稲穂が青々と茂った田んぼの方を、じーっと見ていました。するとある時間になると、田んぼの中から無数の青白い光の点が一斉に湧き上がってきたものでした。

 そして、
ゆらゆらと点滅する無数の光はどんどんこちらの方へ寄せ上がってきて、ベランダのすぐ外まで溢れてきました。筆者たちは、下駄をはいて蚊に食われながらも蛍狩りを楽しんだものでした。いくらでもふわふわと飛んでくるので、すぐに手で捕まえられました。すると、手のひらの中で、その夏の妖精たちは、けなげに青白い光を放ち、自然の神秘を強く印象付けてくれたものでした。

 捕まえた蛍たちを、網の付いている小さな虫かごにいれて、
露草の葉などを一緒に詰め込んで霧を吹いて湿気を加えてやりました。これを蚊帳の隅につるして、その光をながめながら寝入ったものでした。当時は、夏になると家の雨戸や障子戸を一斉に取り払い、代わりにスダレついたてを置いて、家の風通しを良くしていたものでした。そのため、蚊などの虫がよく家の中に入ってくるので、夜は早めに蚊帳を張ったり、蚊取り線香をたいたりしていました。

 ところが、ある時、田んぼの稲の
消毒が始まりました。まだ蛍たちが出る前の時期に、一斉に始まるのです。エンジン付きの消毒機械を人が背負って、田んぼ中に白い嫌な臭いのする粉をふりまきました。すると、イナゴやその他の稲の害虫は全く見られなくなりました。しかし、案の定、あの神秘的な光の演舞を見せてくれていた蛍たちも、その時から消え去ってしまいました。

 
「人間のエゴ」というものは誠に身勝手なもので、あの時に傲慢にイナゴと共に葬っておいたたちを、今ではまた無理矢理に、まるで整っていない劣悪な自然環境の中で生かそうと躍起になっています。そして、「蛍祭り」などと称して蛍の数よりも何倍も多い人が、みじめな蛍たちを眺めに来るのです。それでも、生き返らせてもらった蛍たちは、けなげに求愛の演舞を始めるのです。

 かつて自然を踏みにじった人間たちに対して、これらの
小さな生き物たちは何かを言わんとしているように思えるのです。人間たちよ、奢る無かれと。もしかしたら、もう既に、それらの虐げられた生き物たちのリベンジが始まっているのかも知れないのです。一体、どんな形で?皆さん、想像してみて下さい。


(写真は「ほたるぶくろ」という夏草です。この花の中でホタルが光ったらさぞかし神秘的でしょうね)



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