--杉の木のお話--
今日は久しぶりに良いお天気でした。でも、こういう良いお天気の時には、杉の花粉が飛び散って、杉花粉症の人はアレルギー反応でくしゃみ・鼻水・涙でたいそう苦しむそうです。昔は杉花粉症なんて聞いたこともありませんでした。昔も杉の木はたくさんあったはずですし、春先には花粉がたくさん舞っていたことでしょうが、一体なぜ昔の人にはそういう病気が無かったのでしょう。やはり、複合汚染や現代人の生活様式の変化が、その原因の大きい割合を占めているのではないでしょうか。
筆者の子どもの頃は、杉の植林が一大ブームでした。何十年か未来に、大木となった杉の木は立派な建材になって高く売れるだろうと言う予測の基に見込まれた大プロジェクトでした。筆者の通った田舎の中学校にも、「学校林」というものがあって、毎年夏休みの初めに「下刈り」をさせられました。まだ若い杉の木を雑草や灌木から守るために、夏の暑い盛りに山奥の学校林まで朝早くから出かけていき、子どもたちにも下刈り作業を強いたのでした。恐らく、今そんなことを子どもたちにさせるとしたら、たちまち多くの親からの苦情が来ることでしょう。ナタガマという刃渡り30cmはある重い大型のカマを片手に、杉の木の根本に群生する下草や灌木を刈り払って行くのですが、ちょっとの油断で左手も切ってしまうかも知れないのです。
幸い、誰一人としてこのカマで手を切った子どもはいませんでしたが、そんなことを今の子どもたちにさせるなどということは、まず不可能でしょう。現代の生活でナタガマなどという凶器を使うことは、もはや子どもにとってはあり得ないことです。しかし、昔の子どもたちはこういうとんでもない刃物を思い切り振り回してかなり太い木や草の幹を一瞬にして切り落とせるという小気味よい体験を味わえたのです。そういう体験や手応えを通して、昔の子どもたちは、刃物と言うものが、いかに危険なものかを実感できたのです。
一方、今の子どもたちにはそのような経験をする機会は全くと言って良いほど有りません。ですから、サバイバル・ナイフなどを持ち歩いている男の子たちですら、その凶器がどれだけの威力を発揮して危険なものなのか全く体験したことがないのです。それをTVゲームのバーチャル・リアリティの世界と混同して人間で試されたらたまったものではありません。このような実体験を全く持ち合わせず頭の中の観念のみで、利器と凶器の両方の性質を併せ持つ道具を扱うことは、そのこと自体が既にアンバランスであり、危ないのです。
さて今はかなり大きくなっているはずの杉の木は、一体どういう立場になったこと言うと、せっかく子どもたちが一生懸命に汗水流して下刈りをしていたのに、もはや一文の価値にも成らず、杉花粉症の原因として嫌われ疎まれるようになってしまったのです。何だか人間たちのエゴの醜さに呆れてものが言えなくなってしまいます。そこで、山の杉の木をみんな切り倒してしまえという愚かな意見も出ているようです。山の杉の木をみんな切り倒すとどうなるか、山の保水機能と土砂の固定機能が無くなり、台風や豪雨の時に鉄砲水や土砂崩れなどの災害が起こりやすくなるのです。そういう災害に比べれば杉花粉症などはまだ軽いものです。今では二束三文と言う程の価値に成り下がった杉の木でも、全く目立たない裏方として、立派に人間たちのために一役買っているのです。大自然の営みとどんどんかけ離れていく現代人の生活を、もう一度よく考え直す時期なのかも知れません。
(写真は、春先に咲くこぶしの花です)