ドク・オーチャン:パートII
May 2006
ドク・オーチャンは都合によりお休み期間をいただきましたが、2006年3月からまた新たに「ドク・オーチャン、パートII」としてスタート致します。
実は、ドク・オーチャンの作者は諸事情で、この4月から関東へ転勤することになりました。新しい勤務先は埼玉医科大学神経精神科です。この大学病院を中心に、新たに「子どもの発達・こころのクリニック」を開設することになりました。
新潟で診療させて頂いた皆様には、大変ご迷惑をお掛け致しまして申しわけありません。関東方面からお出でになられていた皆様には、近くになって都合が良くなると思います。これからも、どうかよろしくお願い申し上げます。
--ひばりとカエルの歌--
花曇りの空の遙か上から、「ピーチク、パーチク、ピーチク、パーチク、・・・」と、よくもまあ、あんなにせわしなく鳴き続けることができるものだと呆れるほどの歌い方で、ひばりの声が聞こえてくる。しかし声はすれどもひばりの姿はなかなか見えない。花曇りの雲の中でさえずっているのかも知れない。
田んぼは一面うすい赤紫色のレンゲの花盛りだ。田かき(田んぼを耕すこと)が始まる前の、春のひとときの華やかな絨毯だ。そのレンゲの花を編んだブレスレットと髪飾りを着けた、まだ頬にあどけなさが残る娘が手かごに何かをしきりに摘んでは入れている。ヨモギの若芽だ。明日、ヨモギ団子を作るので、母から頼まれて、日差しのまだ柔らかな春の野に山菜を摘みに来たのだ。ひばりはまだひっきりなしに鳴き続けている。ようやく訪れた春の喜びを思う存分に歌い続けているかのように。
向こうには一面の黄色い菜の花畑が広がっている。ひばりの巣は、もしかしたらその菜の花畑の外れにあるのかも知れない。そのもっと先には、長く続く土手の上にうすいピンクのもったりとした房の広がる八重桜の花が満開だ。近くにある、小川のせせらぎから、雪解けの水の流れ出す音が聞こえる。ずーと同じ水音の繰り返しのようだが、実は二度と同じ音は聞こえていないのだ。
夕方、日が暮れると堤(つつみ)の周りでたくさんのカエルたちが歌い始める。「ケロケロ、クアクア、・・・」と、待ちに待った暖かい春が巡って来た喜びを一晩中歌い続けるのだ。カエルの声は大合唱となり、あたりの水辺の土手にこだましてますますけたたましく聞こえてくる。
しかし、人は誰もひばりの歌やカエルの合唱を嫌がることはない。却ってその歌声で心が癒されることになるのだ。それは、そういう動物たちの声が大自然の歓喜の歌声だからだ。
知っているだろうか。レンゲは田んぼの肥やしのためにあの綺麗な鮮やかな花を咲かせ、菜の花は菜種油を採るために、小川は田に水を引くための用水路で、つつみはその水を貯めておく貯水池だったことを。そんなふうに、昔は人の生活がごく当たり前に大自然と一体になっていたのだ。そして、そういう物事の季節毎の移ろいが人々の心に癒しや潤いをもたらしてくれていたのだ。
一体、いつの頃からだろうか。こういう大自然との一体化した調和が崩されてしまったのは。もう、人間はあの大自然と一体だった懐かしい時代には二度と戻れないのだろうか。うるさいひばりやカエルたちを押しつぶし台無しにして造り上げた文明社会の中で、今、子どもたちが悲鳴を上げている。まだ大自然に近い存在である子どもたちの心身は、文明社会の中で無理矢理に大自然と引き離された生活を強いられ、限りなく不安定な状況をつのらせているのだ。どうして誰も気付かないのだろうか。
今年もゴールデン・ウィークがやって来る。さあ、都会のあくせくした生活の中で車や機械やPCや映像メディアが造り出した耳障りな騒音を離れて、大自然の歓喜の歌を聴きに行こうではないか。人間が大地の一部、大自然の一部であるという証拠を見つけるために。そして、人間がこの歪んだ文明社会を造り上げると同時に為しておくべきだった事を思い出すために。
(写真はチェリーの妖精)