ドク・オーチャンの独り言(その36)


ドク・オーチャン:パートII July 2006

--不登校児と炭坑のカナリア--

 昔、石炭を掘る炭坑などで、有毒ガスの噴出で坑夫がガスを吸って中毒になったり窒息したりして被害に遭うことがたびたびありました。このような炭鉱事故を未然に防ぐため、掘削作業現場の最先端に、籠に入れたカナリアを置いていたといいます。カナリアは、有毒ガスに最も敏感な小動物の一つと言われます。そのカナリアが苦しみ出したら危険が迫った兆候と判断できるのです。このように、昔の炭坑では、長年の経験から編み出された警報システムとしてカナリアを使っていたそうです。

 また、これも昔の話ですが、村や町の一つや、大きな船舶などに近い将来何か災いが起きる場合、必ず何か動物たちの前触れがあったと言います。それは、人間が進化の途中で失ってしまったセンサーを働かせてそういう災いが起きることを未然に察知した小動物が、例えばネズミなどですが、ある日を境にその場所から一斉に逃げ出したり、居なくなったりする現象があったと言うことです。そして、その直後に、町がペストに襲われて全滅したり、嵐で船が沈没したりしていたといいます。先の神戸・淡路大震災の際にも、一部でそのような現象が報告されていたようです。

 不登校の原因はさまざまですが、かなりの割合を占めるものは、学校という場に対する適応障害、あるいは大人が成長の過程で失ってしまった敏感なセンサーで何かを感じることのできる子どもたち自身が、自己の身を守る反応を起こしているかのように思われるのです。ですから、今の不登校は、その多くが、学校という環境が最も有害な状況にあると本能的に無意識に感知した最も敏感な小動物である子どもたちが起こしている逃避反応と捕らえても良いかも知れません。
筆者の担当する「こどものこころクリニック」には、このように傷ついたカナリアたちが、その傷を癒すため、また生き延びる道を探すために訪れていますが、その数は後を絶ちません。このような不登校の子どもたちを、不本意にも、あたかも何かの「病気であるかのように」取り扱っているわけですが、このような子どもたちの大半は、本当は病気などではないのではないでしょうか。本当に病気になっている、あるいは病的なのは、むしろそういう荒れ果てた異常な学校の環境に順応している大半の学童や、あるいは順応しようともがきつつ登校している生徒なのではないでしょうか。となれば、このような有害な環境を温存させている学校そのもの、あるいは学校に勤める全教職員自体が、既に病気の域に達しているのではないかとも思えてくるのですが、言い過ぎでしょうか。

 いったい、いま学校はどうなってしまったのでしょうか。どうも、校長先生以下の学校の教師達は、ただ単に不登校が無いとか少ないとかいうだけで満足しているように思えてならないのですが、言い過ぎでしょうか。問題は、不登校という目に見える形で現れた現象だけではないように思えるのです。水面下で、もがきうごめく無数のカナリアたちのことを誰も気付いてくれる者はいないのでしょうか。

 何も学校の当事者だけを責めているわけではありません。当然、そのことに早くから気付いて、何とかしなければならないと心中焦りを感じている教師もいるはずです。しかし、もはやそういう心優しい教師達の手に負えない状況になっているのではないでしょうか。

 最近の新聞に、防犯カメラを設置している学校が7割もあるという記事が載っていました。やはり今の学校の荒廃ぶりを反映しているのだろうかと思われ、唖然としてしまいました。もちろん、池田小学校のような不法侵入者を監視するという意味も十分にあるわけですが、大半は校内暴力やいじめの実態を監視するためのものと思われます。

 カナリアたちは、心を傷付けられて、身の危険を察知してこれを回避するための最も有効な手段として、不登校という行為に及んでいるのではないかと思われます。このように、身の存続の危険を察知させるような環境が、学校の生活の中に有るということなのでしょう。それは、生徒達が日中の生活の大半を過ごさなければならない学校という場で、およそあってはならない、この上もなくゆゆしき事態なのです。どうか、カナリアたちの悲鳴に多くの人たちがもっと真剣に耳を傾けて欲しいものです。

(写真は赤いカnリアです)



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