
10月になってしまいましたが、この夏からの日本の巷の話題は、もっぱらアザラシの「タマちゃん」で持ち切りでした。一体どこから迷い込んだのでしょう。都会を流れる大きな河の水面に時折姿を現した一匹のアザラシは、一見まるで水の中から岸辺の人間たちに愛嬌を振りまいているように見えました。そしてそれを見ていた大観衆は声援を送っているつもりだったのでしょうが、当のアザラシにとっては天敵からの威嚇の遠吠えにしか聞こえなかったはずです。夏の終わりと共に、タマちゃんの姿は消えてしまいました(またしばらく後で神奈川県などの川面に再び現れたようですが・・)。また遠くヨーロッパでは、ヴルタヴァ河(モルダウ河)が氾濫して美しい古都プラハが大洪水に見舞われ、動物園のアザラシが隣国ドイツまで泳いで何とか逃げ切ったかのように見えたものつかの間、帰還の途中で敢え無く力尽きてしまったそうです。
たまたま重なった出来事なのかも知れませんが、この哀れな二頭のアザラシは、洋の東西を異にするとは言え、詰まるところは人間の文明が発達し過ぎたことによる自然破壊の現象を、身をもって提示してくれたとも言えるでしょう。日本のタマちゃんはどこかで飼われていたものが逃げ出したのでしょうが、造り替えられ汚染された河では到底自然の生活に戻れるはずがありません。また、何百年に一度というプラハの洪水も、元はといえば地球温暖化が根底にあるのではないかと言われています。
ところでメノナイトというキリスト教キャソリックの一派のことをご存知でしょうか?この一派の主流は文明の利器を使うことによって人間が神から遠ざかってしまうという教義にのっとり、19世紀初頭に始まった産業革命に端を発する文明の利器(蒸気機関、ガソリン・エンジン、電気など)をことごとく拒否し、未だに頑なにランプと薪と馬車の生活を守り続けているという人たちです。近年の地球温暖化による気候の変動、農薬や化学物質、放射性物質などによる汚染、電磁波による白血病発症の促進、オゾン・ホールの拡大による紫外線増強からの皮膚癌発症の増加など、地球規模の生活環境の悪化がひしひしと身に迫って来つつある事を私たちは感じざるを得ません。
結局、今まで、何と頑なで愚かな融通の利かない教義なのだろうと思われていたメノナイトの人たちの考えややり方の方が、地球やそこに住む私たち人間や動植物たちにとって最も優しくかつ利口なやり方だったのではないでしょうか。神から遠ざかった人間たちは、神の偉大さを忘れ、神を冒涜し、今や自らが神の力を振るわんとして地球上に君臨しています。それも、二千年の時を越えた民族の争いを未だ乗り越えられず、計り知れない能力を持つに至った文明の利器を大量破壊のために貢ぎ込もうと目論んでいるのです。
特に日本では、狭い国土の到る所に人間がひしめいているせいか、とかく人間中心的で、動植物の自然や野生についての観念が薄いようです。アメリカやカナダの国立公園では、そこに入るときに必ず大きなゲートがあり、注意事項を書いた立て看版があったりパンフレットを渡されたりします。また公園内にも専属のレンジャーが居て野生の動物と人間との接触を常に監視しています。野生の動物たちに直接餌を与えることは硬く禁じられています。人間から餌を与えられると、動物たちは自分で餌を取ろうとしなくなり、種の絶滅に繋がるからです。また、野生の動物たちに近付き過ぎたり大声を上げて刺激したりするとレンジャーに注意されます。常に人間よりも野生の動物たちの方が主であるという立場が貫かれているのです。白鳥の来る沼では、人間が観察するための大きな隠れ家が作られていました。アメリカやカナダでは、かつて西部開拓という美名の基にバッファローやオオカミが殺戮、乱獲され、目下絶滅の危機に瀕しているという苦い経験があり、野生の保護を国家的プロジェクトとしていち早く推進しなければならない事態に追い込まれているからです。
一方、日本ではどうかというと、白鳥などは村興しの絶好の呼び物とばかり、全く人間本位の立場で一生懸命に餌付けをやっています。奈良公園の鹿もそうですが、はるばると渡りをする白鳥に、子どもが手渡しで餌をやるなんて、到底アメリカやカナダでは許される事ではありません。佐渡のトキもそうですが、早く野生に戻すべきでしょう。いや、早く野生のトキが棲めるような環境を整えるべきでしょう。人間のエゴによって絶滅させられてしまった動物たちの数をもはやこれ以上増やすような愚は繰り返してはなりません。
日本古来の神道は、アニミズムの哲学から生じたと言われます。大自然、つまり森羅万象を畏敬の念で受け入れる考え方がその真髄にあります。つまり、動植物あるいは大自然のものの全てに「神」が宿るとし、自然を敬い、人間も自然の一部としてこの世に住まわせていただく、という自然に対してとても謙った態度なのです。現代の日本では、もはや神様は消え去り、人間が我が物顔で自然を破壊し続けています。
(写真はまたまた我が家のちょっと頼りない番犬、陸太君です)