ドク・オーチャン:パートII January 2007
--恩賜の酒--
明けましておめでとうございます。
これは母から聞いたお話です。似たようなお話は、他にもあると思います。高齢の母が通っている俳句の教室で、一緒に習いに来ておられる同じく高齢の男性からお聞きしたお話だそうです。
彼は、太平洋戦争(今から65年程昔の第二次世界大戦の中の日米戦争のことです)の末期に、学徒出陣を強いられ、関東のある航空隊で特攻訓練を受けておりました。学徒出陣とは、太平洋戦争で日本が負け戦になり、兵士がどんどん死んでいって、本土にはもはや兵士として供給するための若者がほとんどいなくなったため、それまで大学生だった青年たちが戦争に刈り出されることになった状況のことです。日本が敗戦に至る末期的現象です。
既に広島、長崎に原爆が投下され、もはや無条件降伏も時間の問題とされていたにもかかわらず、国内では最後の一兵まで戦い抜くという究極の作戦が練られておりました。とにかく、「神風」が吹くまで持ちこたえれば、日本に勝利がもたらされるといった愚かしい考えもあったようです。そのため、「特攻隊(特別攻撃隊)」という名前の、今で言う自爆テロ計画が着々と実行されておりました。これは、戦闘機に帰りの燃料を積まずに(当時はガソリンも底を突いていて、帰るための燃料すら倹約されていたということです)ひたすら敵国アメリカの艦船を一つでも多く撃沈させるために、爆弾を抱えて体当たりして行くという何とも無謀で無惨な計画だったのです。この計画のために、何人もの若い学生たちが無駄に命を散らせて行ったことでしょうか。
日本は神国で、敵が攻め入って来ようものなら最後に神風が吹いて敵を蹴散らしてくれるはずだという信仰が、神風特攻隊という究極のテロ軍団を作り上げたのでした。神風特攻隊は日本の勝利をひたすら信じてわが身わが命を投げ出したのです。このテロ軍団の活躍に、当時のアメリカ軍は震えあがったそうです。
この神風の起源はおそらく鎌倉時代に北条時宗の政権下で日本民族が命拾いをした二度にわたる元寇の役での敵国撃退によるものなのです。この二度の中国からの攻撃が、運よく秋の台風のシーズンだったということが、神風神話を作り出す基になったことは十分に想像できます。日本は長い歴史にもかかわらず、常に他国の侵略を免れ、天子に守られた神国だったのです。
さて彼にも、終戦の間際にとうとう特攻に出撃する順番が回ってきました。恒例で、出撃前夜には、出陣祝いの宴が催され、天皇陛下から賜ったという、「恩賜の酒と煙草」がふるまわれたそうです。しかし、煙草は何とかむせながらでも吸えたようでしたが、彼は幸か不幸か全くの「下戸(お酒が全く飲めない体質のこと)」でした。それでも、明日はお国のためにその身を捧げるという前夜でしたから、恩賜の酒は何としても飲み干さなければなりませんでした。彼はぐでんぐでんに酔っ払い、食べたものを吐き散らかしながら正体もなく眠りこけてしまったそうです。
さて、翌朝、もう出撃という時刻になっても彼は起きて来ませんでした。生まれて初めて飲んだお酒で強烈な二日酔いになって起き上がれなかったのです。当然飛行機の操縦どころではありません。何という情けない男なのか、非国民だ、とののしられながら終戦を迎えたそうです。何で死ななかったのか、死んでお詫びをしたらどうかとさえ言われ、家族も含めて周りからひどいいじめを受けたそうです。終戦後も、身勝手な人たちが彼を非難し続け、しばらくは人に逢うのもはばかられて引きこもっていたそうです。
しかし、彼はその恩賜の酒のお陰で、片道切符の地獄行きの特攻機に乗り込むことなく命拾いをしたのです。これこそ恩賜の酒だったのでしょう。彼は日本人に少なくない、肝臓のアルコール・デヒドロゲナーゼの活性が低いという特異体質だったことが幸いし、大量に摂取したエチル・アルコールの代謝が翌朝までに十分できなかったために、アセトアルデヒドが体内に蓄積・充満した結果、一時的な身体機能の重度の障害を来たし、あの太平洋戦争で見事にサバイバルできたのです。
(写真はおめでたい松竹梅の盆栽です)