ドク・オーチャン:パートII February 2007
--ホッケの味--
今年は史上稀に見る暖冬といいます。筆者は、昨年春から関東に来ていて、毎朝ツーンと乾燥した関東の空気を吸い込んでいます。思わずカラカラの喉がイガイガしてきて咳が出そうになります。今年は花粉症も早く出てきているせいもあり、朝はマスクをかけている人によく出会います。このように、カラカラの空気だと、マスクをしていた方が口腔内の粘膜に湿気を十分保つことができて粘膜の抵抗力も保持できて、空気感染の危険性も減るといいます。
それにしても、関東の冬は空気が透き通っていて、朝晩に埼玉からでも真っ白な富士山がかなり大きくくっきりとよく見えることに驚きました。このところ毎日ポカポカと良い陽気で、もう梅の花もあちこちで色付いて来ています。
以前にもお話しましたが、筆者が子どもの頃は、新潟県の豪雪地帯に住んでおりました。今頃は、積雪のピークで、一階の屋根の上までもすっぽりと埋め尽くされる程の積雪量で、それが何回となく屋根の雪下ろしをやる度にどんどん積み上がり、二階の窓も覆ってしまうことがよくありました。そうなると、家のどの窓からも日光が射さなくなり、家の中に入ると真っ暗な状態になってしまいます。特によく晴れた日などに真っ白な外の明るい世界から、転げ落ちるように家の玄関を入ると、途端に家の中が真っ暗で何も見えなくなります。これは雪の乱反射で眼球網膜の極端な明順応を強いられた直後に、突然の真っ暗な家の中で暗順応が追い着かずに一時的に盲目状態に陥ってしまうからです。家の中では、真昼でも裸電球を煌々と点けていないと何も見えません。しばらくするとおぼろげながら、この裸電球の光が見え出します。もう一つ、家の中が暗かったのは、囲炉裏を焚いていて、そこから出る煤が台所や居間の壁に着いていて家の内部全体が黒くなっていたからでもあります。
当時はあまり食べ物も種類が豊富ではなく、お昼ご飯などはその朝にたくさん炊いたご飯の残りでした。これはお昼時にはお櫃の中でもう冷たくなっていて、これを茶碗に盛ってお湯を何回か通して温かくして食べました。お昼のおかずの中で一番印象に残っているのは「ホッケ」です。ホッケという魚は、寒流に乗ってくる白身のあっさりとした魚で、あまり大きくはありませんが、当時とても安くてどこのお家でも食べていたようです。ちょうどサケより二回り以上も小さく、切り身を塩漬けにしたものを焼いて食べていました。この魚の肉をほぐして暖かいご飯の上に載せてサクサクといただくお昼ごはんの味は今でも忘れられません。今、そのホッケは近くの和食の一杯飲み屋さんで姿焼きで食べられます。たまに当時を懐かしんで、ビールのお摘みに頼んでみるのですが、塩味が薄くて上品過ぎて何だか別のものを食べているような気がします。おそらく冷蔵庫など無かった当時は、なまものの長期保存のためにかなり塩分がきつかったのだろうと思います。ビニール袋から切り身を出すとたくさん塩が吹いていましたから、よほどしょっぱかったのだろうと思います。ですから、お昼のご飯がどんどん進んだものでした。
もう一つ、懐かしいのは焼きたら子です。これも当時は長期保存が利くように、かなり塩分が強かったのだろうと思います。今よりもかなり毒々しく真っ赤に染色されていて、到底生では食べられないと言われていましたが、これの焼いた切り身がおかずについていて、それに野沢菜と沢庵が一緒に入っていれば、これはもう最高のお弁当でした。ちなみに筆者の小学校時代はまだ給食はありませんでした。当時は、このようなホッケやたら子、野沢菜などは大した食材とも思われなかったのですが、いまだに珍重されているところを見ると、日本の食材の原点なのかも知れません。こんなお話をしていると、何だか思わず涎が出てきてしまいます。さあ、お昼ご飯を食べに行きましょう。
(写真はホッケの開きです)