ドク・オーチャンの独り言(その45)


ドク・オーチャン:パートII April 2007

--反面教師--

 普通、教師というのは、自分の立ち居振る舞いを模範として生徒に示す立場にあるものです。しかし、時として、自分の立ち居振る舞いを、そのようにやってはいけないこととして示すような教師に出会うこともあります。そのような教師のことを、「反面教師」と呼ぶのです。

 しかし、そのように、やってはいけないことを生徒に示して教えてくれるのですから、これもやはり生徒にとっては立派に教師としての役目を果たしているのではないでしょうか。そして、往々にして、そのような教師は自分の好ましくない立ち居振る舞いののことについて、ほとんど全く自覚してはいないのです。生徒の方が、好ましくない立ち居振る舞いの例として認識してこれを反面教師から自主的に学び取っていることになります。

 最近、学校の教師の質が落ちて、生徒たちの模範になれるような教師が減ったなどと言われます。果たして、本当にそうなのでしょうか。

 仕事柄、どのような家庭環境で育てると子どもが親の言うことを聞かなくなるのか、あるいは、子どもが不登校になりやすくなるのか、などといったことが、いろいろと具体的に浮かび上がって来るように思われることがあります。そういう家庭や親子の状況は、幼い子どもがいて、これから育児をして行く親にとってはこの上もない「反面教師」になるはずです。このようにやりなさいとか、このようにやると良い結果になりますよ、というような本来のやり方のみを教え諭す方法からは、単純な一対一の対応した「方法」と「結果」しか生じてはきません。しかし、反面教師の教え方では、そのようにしないようにということだけなので、では実際にどのようにしたら良いのかという具体的なことまでは選択肢が多すぎるので教えてはくれません。

 実は、このようなこと自体が「反面教師」の重要な意義なのです。実際、よく陥り易い落とし穴のことを「反面教師」は教えてくれているのです。このような陥りやすい落とし穴に、どうしたらはまってしまうことなく、うまく立ち回って行けるようになるのか、それは本来自分で苦労して考えて編み出さなければならないことなのです。

 より良くするのではなくて、悪くしない方法が、実は最も大切なことなのです。最近では、より効率を良くして、いかに少ない資本と労力とで最大の利潤・効果を揚げられるかが最も重要な課題と考えられています。このような課題に反するものや不採算部門はどんどん切り捨てられ、能力主義を絶対視し、この苦しい時代を乗り切ろうとしている指導者が大手を振っています。

 財力と権力とが万能で、これさえあれば人間の幸せが簡単につかめるものと信じて疑わない人たちが多いようです。確かに財力にはある程度余裕があるに越したことはありません。しかし果たして、巨万の富を築いた人たちが本当に幸せになっているのでしょうか。却ってそういう人たちが「反面教師」を演じてしまっている場合も少なくありません。

 財力と権力を追い求め、ああいう人にはなりたくないと思いつつ、ようやく望みが叶えられた大物政治家たちや、高い社会的地位を確率した人たちが、不覚にも陥ってしまうのが「反面教師」の典型なのです。管理職になった途端に部下達の心が全く理解できなくなり、この先失っては困るものを確実に掌握してしまったせいか自らの保身にしか関心が向かなくなってしまったような指導者たちがけっこうおりますが、「反面教師」はむしろ成功者と言われる人に多いようです。

 新学期が始まって、筆者の勤める「こどものこころクリニック」もようやく丸一年が経とうとしています。ある患者の中学女子生徒の話では、新学期から保健室に行くにはクラスメート二人以上の付き添いと同意がないと権利が得られないとかいう、変な校則ができたそうです。これは保健室に入り浸る生徒が多過ぎて裁ききれなくなった学校教師達の苦肉の策なのでしょう。保健室に行かざるを得ないような生徒達の辛い立場を全く理解できない「反面教師」達の考え出しそうなアイデアだろうと頷けます。空き室を保健室の予備室として使い、担当教師を増やせば良いのです。文科省や教育の現場は一体どっちを向いているのでしょうか。
 
(写真は古城の桜花です)



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