ドク・オーチャンの独り言(その46)


ドク・オーチャン:パートII May 2007

--田舎から子どもたちの声が消えた--

 何年か前にも、ゴールデン・ウィークに田舎を訪れて不思議に思ったことがあったのですが、今回もまた新たにその思いを繰り返し、不本意にも再認識してしまいました。

 今年のゴールデン・ウィークに、久しぶりに生まれ故郷の田舎を訪れてまた驚いてしまいました。連休の真っ只中で、しかもポカポカと良い陽気で、子どもたちが戸外で走り回って遊んでいそうでした。しかし、故郷の村里では、誰一人子どもに出会うことはありませんでした。村の鎮守様も、少し離れた新しい公園にも、子どもはおろか、人っ子一人居ませんでした。遠くの田んぼには耕運機の音がトコトコとしていて、春の「田かき(田んぼを耕作すること)」が始まっていました。

 今の田舎は、単に高齢化と過疎化が進んだのみならず、子どもたちも何も居なくなってしまったようなのです。河岸に新緑を蓄えて煌めきながらうねり流れる信濃川は、とうとうと水音をあげ、田んぼの蛙たちはお互いに呼び掛け合いながら、子どもたちの現れるのを今や遅し、と待ち構えているかのようでしたが。

 「遊園地」と書かれた木の看板が立っている、恐らくかつては田んぼだったと思われる広場の脇に、誰も乗っていないブランコがあったので、小さい頃を懐かしんでしばらく乗ってこいでみました。ブランコはキーコキーコと鳴って、一こぎ毎に時間がさかのぼり、どんどん昔に戻っていくようでした。小学校の時に、放課後に並んで順番待ちをして乗っていたあのブランコ。しかし、最近では、普段乗り慣れていないものですから、とうとう酔ってしまい、頭が痛くなって降りてしまいました。ブランコのすぐ側には、紫色のスミレの花が群生していて、筆者が酔っ払っているのを見て、笑っているかのようでした。

 いったい、何か休日の行事があったからなのでしょうか。それにしても、小さい子達もみんな一緒に参加しなくてはならない行事なんてあるのでしょうか。やはり、どちらにしても、子どもの数が少なくなっているせいに違いありません。

 なるほど、今の田舎には、もはや若い人たちの働く場所がなくなり、子どもたちを育てる場所ではなくなってしまったようです。子どもたちは、もはや田舎では暮らせなくなってしまったのです。その昔、子どもたちの心身にファンタジーを与えていた田舎の自然は、もはや子どもたちから遥かに遠ざかってしまったのです。

 今やコンピュータによる映像メディアが、子どもたちに、かつては考えられなかったようなグローバル・レベルの豊富な情報を提供してくれています。しかし、それはあくまでも視覚と聴覚のみに入力される薄っぺらな情報に過ぎません。

 泥だらけになって、草むらやせせらぎで転げ周り、小さな身体中をセンサーにして体得した経験は、後に豊かな情緒や感受性の礎になるのです。そういう、身も心もわくわくするような経験をたくさん与えてくれたのが田舎の自然だったのです。今も、田舎の自然は子どもたちの現れるのをてぐすね引いて待っているような気がします。田舎の小動物や植物や花たちも、何だか子どもたちを待ちぼうけで拍子抜けして寂しそうでした。

(写真は花菖蒲です)



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