ドク・オーチャンの独り言(その48)


ドク・オーチャン:パートII July 2007

--赤楝蛇(ヤマカガシ)青大将(アオダイショウ)--

 筆者はが大嫌いです。草むらでを見つけると、もうそこから先へは一歩たりとも近付けません。足がすくんでしまうのです。それがたとえ毒のない小さなだったとしてもです。それくらいが大嫌いなのです。

 なのに、なぜの話をするのかと言いますと、筆者の育った田舎の事を想い出すと必ずのエピソードが出てくるからです。それくらい、は当時の田舎では日常茶飯事だったからです。そんな嫌いな物が日常茶飯事だったなんて、何と不幸な子ども時代だったのかと思われるでしょう。でも、大嫌いながいつもニョロニョロ出てきていたからと言って、それで不幸だったという訳でもないのです。
 
 とにかくが大嫌いな子どもの周りに、冬の季節以外にはあちこちとが出没していたのです。一番ポピュラーなのはヤマカガシでした。これは、茶色っぽいだんだら模様に緋色の斑点が繋がったいかにも田舎のらしい小柄なです。どこにでも隠れていて、生け垣の石の間から頸を出してチョロチョロと赤い細長い糸状の舌を出してカエルを食べたそうに狙っていました。このは、時々鶏小屋の中に入り込み、生んだばかりの卵を食べていました。朝、卵を取りに薄暗い「つぐら」の中に手を突っ込んで、何やらなま暖かい変な物をつかんだかと思って取り出すと、ヤマカガシの胴体だったなんて言うことがたまにあって、その日はもう朝食の生のぶっかけ卵ご飯が喉を通らず、一日中陰鬱な気分が続くのでした。このは、家の中でもよく出くわしました。当時は夏場の家の戸は全て取り払われて、すだれが下がっているだけで家の中はスカスカで風が通り抜けるようになっていたので、動物でも何でも勝手に家の中に入り込める状態でした。茶の間のテレビのフィーダー線が変に二重に絡まっているなと思い、手を出そうとした瞬間、真っ直ぐに身を伸ばしていたヤマカガシが突然動き出して、跳び上がる程に驚いて大声で叫んでしまったこともあります。また、水道管の脇に何か紐のような太いゴミが付いているから取り除こうと思って引っ張ろうとして手をかけようとした瞬間、その紐が突然動き出してヤマカガシになってしまうという、びっくり仰天のエピソードもありました。

 さて家の中に入って、が狙う獲物は勿論家ネズミです。その最たるものが「村周り」という異名を持つ大蛇であるアオダイショウです。村周りの異名の由来は、恐らく村々を一軒ずつ回ってネズミを食べ歩く、という意味なのだろうと思います。今ではこんなは家から家に移動する際に車に轢き殺されてしまうでしょう。

 しかし当時は珍しくも無く、しばしばその「村周り」が家々に出没していました。ある時、筆者の旧家の軒で横木を伝っているのが見つかり、近所の男たちが総がかりで取り押さえていました。筆者の記憶では、やはり青大将と言われるように、少しグレーがたった青っぽい色の直径5−6センチ以上もある大蛇でした。最後には頭を潰されて殺されて川に捨てられてしまうのでした。

 よく考えてみると、確かにはカエルや鶏の卵を食べたりして悪さをするのですが、一方で家ネズミを食べてくれるという益も与えてくれるのです。しかしその姿の醜さゆえに一たび人間に捕まったが最後、無残にも粗大ごみとして川に流されてしまうのです。何と哀れなことでしょう。

 人間はいろいろな生き物(人間自身も含め)について、とかくその姿形で良し悪しを区別してしまいがちです。内容を吟味せずに見かけだけで判断してしまうのです。そのような傾向は、科学も進んでいなかった大昔も、IT社会と言われる今日も、ほとんど変わっていないような気がします。いや、却って情報過剰時代とも言われる現代社会の方がより一層、見かけを重視するようになってきているようです。ほとんど内容の無いグラビア・ビジュアル系のモデル達が流行・横行し、おまけに首相までが上辺だけの「美しい日本?」を強調したりしています。外見の醜いものは表にさらすなと言わんばかりの視覚情報メディアの氾濫です。そういう視覚情報メディアに心地よく乗らないものは消えて行かざるを得ないのかも知れません。などはその最たるものでしょう。

 しかしそういう情報メディアの傾向は、ものごとの真実とはかけ離れてしまうのです。表面だけの心地よいバーチャルの世界に慣れ親しんだ子どもたちは、醜い真実を隠したり否定したりしそうです。「現実逃避」に向かいつつある子どもたちの前に、昔の田舎でよく出くわしていたたちがニョロニョロと現れて来て欲しいものです。

(写真はアニメ白蛇伝です)



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