ドク・オーチャンの独り言(その5)


--グレート・チャイナ--

 9月19日から一週間、国際小児神経学会が中国の北京で開催されまして、ドク・オーチャンも出席して参りました。

 想像以上に近代化されている中国の首都の様子に驚かされました。しかし、朝からぼやけた灰色の空を見上げる大気汚染や、人、自転車、リヤカー、バイクも車道に巻き込んでの極度の交通渋滞で、近代化を急ぎ過ぎた弊害が如実に現れていることを知りました。

 一方で、中国の人達、特に若者達の目の輝きと、したたかなエネルギーを感じました。これは数年前に行った韓国のソウル、台湾の台北で感じたものと共通した若者達の雰囲気です。この若者達の輝くような若さ溢れるスピリットは、今の日本の若者達には、残念ながら感じられなくなってしまいました。そして、中国が未だ計り知れない底力を秘めていることが感じられ、むしろ発展途上であるということが羨ましくも思えてしまいました。若者達に元気がある限り、この国は発展するのだろうな、と思いました。翻って、今の日本の若者達は、若者としての目の輝きを失ってしまっているだけでなく、何だか夢も無くなって白けきっているようです。平和な先進国に生まれて何一つ不自由のない暮らしなのに、若者の目は希望を失ってしまっているようです。一体、なぜなのでしょう。人間は、逆境の中の方が輝いていられるのでしょうか。

 もう一つ感じたことは、お年寄りが、やはり日本とは全く違って元気に活動しているということです。街のあちこちの公園(意外に公園が多くて広いのには驚きました。また大きな樹もあって、木陰も適度にあるのです)で、太極拳だのダンスだの、全くくったくなくお年寄りの人達が集まって元気にやっているのが見られます。日本のお年寄りが、肩身が狭そうに公園の片隅で新聞を読んだり静かに密やかにゲートボールをしたりしているのに比べて、中国のお年寄りはとても堂々としているように見えました。

 お年寄り達が、屋外で堂々と人生を謳歌しているということは、この国ではお年寄り達が十分に大切に扱われているのだろうと思います。そういう意味では、今の日本では、能率・効率ばかりを追求して、お年寄りをないがしろにするような傾向があるのではないかと思います。急速な近代化を進めている中国ですが、それでもなお昔からの道徳(恐らく儒教の教えが根強く残っているのだろうと思います)を守り抜いていることについては、日本も大いに見習わなければならないと思います。もしかしたら、それこそがこの国の老若男女の活気の源なのかも知れないからです。「衣食足りて礼節を知る」という諺はやはり中国から来たものでしょうか。

 折から日中国交正常化30周年ということで、北京の街は観光客(特に日本人)でごった返し、どこの観光地も人だらけでした。あの、さしもの広大な天安門前の広場がほとんど埋め尽くされる程の人の多さにはびっくりしました。これでは、人件費や物価が日本の5-6分の1以下という中国の経済事情が数年もすると一変するのではないかとも思ってしまいました。きれいな布製の鷲の形をした凧を買ってきましたが、インテリアとしてもなかなか立派なもので、とても日本では考えられない位安い値段でした。

 三国志や水滸伝を読んで想像していたいにしえの中国は、今はもう遺跡や観光地としてしか見られなくなってしまいました。かつては日本の文化の起源として栄華を誇ったグレート・チャイナ、今新たに近代国家として始動を始めた古代の伝統を受け継いだ大国に、何故か懐かしさと賞賛の念を抱いてしまいます。21世紀がアジアの時代であることを予感させる体験でした。

 また念願だった、北京の総合病院で神経内科の診療をされている、友人の中国人ドクターを訪ねました。20世紀初頭にアメリカのロックフェラー財団が紫禁城のすぐ近くに設立した近代的な由緒ある総合病院です。建物の半分は中華風と洋風との折衷という感じでしたが、機能的にはたいへん便利に造られていて病院の総合的な診療施設は日本とほとんど変わらない設備でした。非常に印象深かったのは、次のようなエピソードでした。病院内のICUの扉の前に人だかりがしていて、北京で有名な若い人気タレントが危篤状態だったそうです。どうも生活の不摂生からAIDSに感染してしまっていたようです。この国も、陰の面でも既に近代化が進んでいるのだと実感させられました。

(写真は紫禁城大和殿の前に立つドク・オーチャンです。映画「ラスト・エンペラー」や「西太后」などに出てくるシーンにとけ込んだ感じです。)



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