ドク・オーチャンの独り言(その52)


ドク・オーチャン:パートII November 2007

--堤(つつみ)を干す--

 今月のお話も、筆者がまだ幼かった頃の想い出です。筆者が就学前の頃です。前にも言いましたが、その頃筆者の家は半農半公務員(教師)という生活状態でした。田んぼが7〜8枚と、水上に200〜300坪の貯水池がありました。この貯水池は、ご先祖様が掘って作ったもので、そのまた水上の山の中にも、もう一つ大きな貯水池がありました。この山の中の貯水池についてはいずれまたお話したいと思いますが、雰囲気として、宮崎駿のアニメ「物の怪姫」のしし神様でもひょっこり出てきそうな印象が残っています。

 さて、この第二の貯水池のことを、我が家では「つつみ」と呼んでいました。下流の田んぼに十分な水を供給するための用水池でしたが、近くの家の残飯まで流れ込むため、むしろ下水に近かったと言っても良いかも知れません。当時は、消毒液や洗剤などはほとんど使われていなかったので、それでもそのつつみに棲む生物たちは健在でした。

 この「つつみ」は、田んぼの貯水池の他に、もう一つ用を足していました。それは、鯉の養殖場だったのです。ただし、まったくそのような商売には素人だった祖父や父たちが、そのような鯉の養殖でいくばくかの収入を得ていたものかどうかは、定かではありません。ほとんど趣味・道楽に近かったのではないかと思います。

 まだ幼かった筆者にとっては、水深数メートルはあってほとんど水中を透かして見ることはできず、周りの樹木の枝が水面に大きく張り出して藤蔓などが垂れ下がっている大きなつつみの中には、一体どんな生き物たちが生息しているのか、あるいは、もしかしたらネッシーのような大きなものではないにしても、不気味なミニ恐竜の子孫なんかが潜んでいるのではないだろうかと想像を逞しくしたりして、つつみの水を干す日を心待ちにしていたものでした。

 毎年、11月のよく晴れた休日の前日、大きな丸太で作ったつつみの漏斗(じょうご)が開栓され、一昼夜かけてつつみの水がかい出されるのです。当日、つつみの一部に残った浅い水溜りの中で、所狭しとしきりに跳ね上がる物があります。大きな鯉です。手伝いに来た大人たちが特別に長いゴム長を履いて水溜りに踏み込んで、すばしこく跳ねて逃げ回る大きな鯉と格闘してつかんだり、あるいは大きな網ですくったりしていました。大きなバケツとたらいはすぐにピチピチと跳ねるほとんどが50cm以上はある大きな黒い鯉たちで一杯になりました。このときの子どもながらの胸の高鳴りを、今もかすかに憶えています。

 その年に獲った一番大きな鯉を、その晩の味噌仕立ての鯉なべ、すなわち「鯉こく」にして食べました。筆者は鯉こくはあまり好みではありませんでしたが、大きな暴れる鯉をさばく父の姿が想い出されます。「まな板の上の鯉」と、よく言われますが、実際はそのような潔い鯉はおりません。往生際がすこぶる悪く、ばしばしと跳ねて、とてもじっとしてはいません。手を離すと途端に床に跳ね落ちて踊り狂い、床も水浸しになってしまいました。ですから、まず金槌で鯉の頭を思い切りがんがん叩いて脳震盪を起こしているところをさばいて行くのです。残りの鯉は、養魚業者に売るか、越冬のための「生簀(いけす)」に入れられるのでした。

 後年、京都の「広沢の池」でも、晩秋の頃に同じような行事を見学したことがありましたが、鯉の大きさからして、まるで規模が違っていました。しかし、やはり幼い頃のことを懐かしく想い出させるものでした。

(写真は鯉です)



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