
八百屋やスーパーのくだものはとてもきれいに並べられていて一見とても新鮮でどれも美味しそうに見えます。しかし実際それを買って食べてみると、見かけに比べどれもどうも今ひとつの味なのです。最近は温室や日照時間などの調節工夫で季節を問わず新鮮な野菜やくだものが手に入るようになり、好みの時期に好みのくだものを食べられるようになって、一見とても便利で豊になってきているように思えます。
最もポピュラーなくだものとして、ミカンやリンゴがそうです。筆者が小さい頃に感じたあの強烈な香りがほとんどしないのです。これは他の野菜やくだものでも言えることでしょう。例えばトマトなどでも、青臭いトマト独特の臭いが全く無い、何だかトマトではないようなトマトばかりになってしまいました。これは、恐らくまだ熟していない実を早取りしてしまうからだと思います。そして店頭に並べられた頃に熟すようになっている訳でしょうが、不自然な熟し方を強いられたためにそのくだもの独特の芳香が出せなくなってしまうのでしょう。
これは今の子どもの教育で、早期に知恵を付けようとしていることと似ていると思います。見かけ上の知識をより早くより多く詰め込もうとして、一見ちゃんと身に付いているようなのですが、実は早熟でアンバランスな思考回路ができてちっとも面白味のない人格が出来上がってしまうという不合理を生じていることと似ているように思えます。
消費者がそういうものを要求しているということも事実ですが、どうも見てくれや体裁の良いものが規格品として珍重されやすく、店頭にもそういうものだけが前面に並び、特に大きい粒のそろったものが値段も高く売られます。しかし、そういう大きな粒のそろったものが常に味も良いという訳ではありません。却って香りもしなくて大味で本当に見てくれだけということがけっこう多いものです。
これも今の子どもの教育で、テストの成績が良い者を一律に優良児として扱い、成績の良くない者を落ちこぼれとして粗略に扱うか、厄介者として特殊学級などに教育を任せるようなランク付けをしてしまうのと似ていると思うのです。ただ単に学校の成績が良くても、つまらない貧弱な性格の者がいるのと同様に、成績が悪くてもとても建設的で奇抜なアイデアをひらめかせる者もいるのです。このことは、昨今の子どもの教育でLDやADHDが境界領域ないしは軽度発達障害として第二のランク付けをされつつあることと、そういう人達の中にきらめく才能を秘めた人が紛れ込んでいる可能性があるということとが表裏一体になっていることに似ているようです。
筆者がずいぶん昔フロリダに家族旅行した時のことですが、果物屋で大きな網袋に入った一山のオレンジを見つけて香りが良いのでついつい買ってしまいました。家族が多かったので、とにかく安くて山ほどあるくだものが欲しかったのです。なるほど山ほどのオレンジが手に入ったのですが、よく見ると粒は不揃いでたいていが小さめでおまけに皮には薄黒い斑点が付いていて、正に「傷物」で到底売り物にはならないようなオレンジばかりを集めてあったのです。香りは良かったのですが、食べる前は正直なところ何でこんなものを山ほど買ってしまったのかと後悔も薄々感じていました。ただ、値段が驚くほど安く、もしまずくて捨てても大して惜しくないような位だったので、まあ腹を立てずに済むだろうと高をくくってはいましたが。まずいのかな、と思いながら一口食べた途端、「オオ、ラッキー!」という言葉が口をついて出てしまいました。以外や以外!とても甘くて美味しかったのです。もう一つ、もう一つとどんどん食べていってしまい、一山全てのオレンジが一つ残らず美味しいことを確認し終わった時には、既に網袋の中はオレンジの皮だけになっていました。
くだものの消費者は安くて美味しければ良いのです。だから、そのくだものの見てくれがお粗末でも、美味しさの判断が何とか外見で分かれば良いのですが、実際やはり食べてみないと分かりません。ところが八百屋にしてみれば美味しいくだものを売りたいというよりは、何でも良いから高く売れて儲かりさえすれば良いという考えが強いと思います。こうして八百屋の側はいかにも美味しそうに見えるくだものを売るようになるのですが、それは往々にして消費者を欺く結果になってしまうのです。消費者も、その手は食わぬと言いたいところですが、残念ながら中身の味は分からないので見てくれの良いものをつかまされて簡単に騙されてしまうのです。
これと似たことが、今の子どもたちにも言えるのではないでしょうか。一見ませていて知恵もありそうに見えるのですが、実は幼稚で全く社会性を備えていないという、大人にとってはただ単に生意気でしかないように映る子どもたちが何と多いことでしょう。体格についてもそのように思えてしまいます。見てくれと体裁だけは立派になりましたが、中身は軽薄というような若者達が少なくありません。豊かな人間性や知性は見てくれだけでは判断できません。その人間とじっくり付き合ってみないと分からないのです。
また最近のくだものは、一見表面は新鮮そうできれいなのに切ってみると芯が腐り始めているものがよくあります。これも早取りして不自然な熟し方をさせたせいだと思うのですが、とても困るものです。これと似たようなことは、最近のいじめっ子が一見優等生面をしていることが多いということと似ているように思えます。昔のいじめっ子が一見でそれと分かるような悪(わる)の態度を表面に醸していたのに対し、今の真の悪(わる)は表面上善人を装っているのです。心の芯が腐っているのに表は取り繕って他人を欺いているのです。
こういうことも、最近の学歴偏重の傾向や知識の詰め込みだけが学力向上の最善策という見方から生じた教育上の歪みを反映していると言えるでしょう。どうですか?最近の八百屋やスーパーの店先に並ぶきれいなくだものと子どもたち、何だかよく似てきているように思えませんか?
(写真は神秘的なアイス・ダンスの絵です)