2003年6月20日に、講談社+α新書「LD・ADHDは病気なのか?」を出版しました。一般の人達が読みやすい内容です。昨今のLD・ADHDブームがどこから来たのか、また一体何が一番大切なことなのかが分かります。ここに本文前書きの一部をご紹介しましょう。
はじめに
いま子どもたちの「LD・ADHD」が話題になっています。マスコミをはじめ、親や教育関係者、小児の医療従事者の間では、子どもや彼ら自身の未来をも左右するかも知れない大きな問題として、関心が高まるいっぽうです。その内容をほとんど知らない人たちにとっては、まるで新時代のブームのような感じさえするでしょう。新しい舶来語に乗り遅れまいと、自分に都合良く理解できるような情報源を無意識のうちに漁っているのです。その現れが書店の店頭にならぶ「LD・ADHD」をタイトルにした出版物の多さです。
(中略)
筆者は日頃、子どものてんかんを診ている専門医です。ですから、この本の内容は、子どものてんかん専門医から見た「LD・ADHD」の考え方や扱い方ということになります。
ご存じのように、てんかんは大昔からある病気ですが、いまだに誤解と偏見を完全にぬぐいさっているとはいえません。長い歴史のあいだに、初めは、一部の、はでな病状のみが目立ちすぎたため、「遺伝するこわい病気」という誤解と偏見が定着していました。実際には、多少遺伝がかかわるにしても、まるで無治療で自然に治ってしまうものもかなり多いのです。
「LD・ADHD」も、極端な見方をすれば「脳の病気」の一つですから、てんかんと同様に誤解と偏見を持たれやすいでしょう。最近ADHDにはかなり遺伝子がかかわることもわかってきました。
このような日進月歩の医学の発達の中で右往左往する、「LD・ADHD」の「適当な内容」が、一般の人たちの間に新たな誤解と偏見を定着させないようにしなければなりません。それは、子どものてんかん医としての筆者に課せられたミッションだと思います。現在の混沌とした情報・知識の中で、はっきりしているエヴィデンス(真実の証拠)をひっぱり出さなければなりません。そして、すこしでも、一般の方たちのもやもやしたとらえ方を、建設的な方向に向けなればなりません。
新世紀になり、「信頼」「心の疎通」「思いやり」などという物質的でないものよりは、「診断書」「契約書」「同意書」といった形に残るもののほうが珍重されるようです。昔ならば「個性」ともとらえていいような人の資質も、場合によっては「軽度発達障害」という医学的な診断をせざるをえないという状況は、なんともやりきれません。
(中略)
新世紀は「ロボットの時代」や「デジタル化の時代」といわれています。○×式のテスト評価で幼稚園時代から子どもたちを洗脳しつづけ、いまや日本の教育機関はデジタル人間の製造工場と化しています。「LD・ADHD」という診断は、いまやデジタル化から落ちこぼれた子どもたちを指しているように思われます。子どもの親たちは、「LD・ADHD」という名前の、突如として足下に置かれた目に見えない新たな「ふるい」の存在に、恐れおののくばかりです。
「LD・ADHDブーム」は現代日本の教育・医療・社会にまたがる壮大な「ゆがみ」の一部ともいえます。筆者は、この壮大な「ゆがみ」を一般の人たちに正しく理解、認識してもらうと同時に、これを立てなおす大きな「うねり」の中にまきこもうというねらいで、この本を書きました。日本の、あるいは世界の未来は、まさに「子どもたちの教育」にかかっているからです。
(写真は「LD・ADHDは病気なのか?」の表紙、クリックすると講談社BOOK倶楽部へGO!)