DEATH BREAK  コードナンバーRVR-87。  怨恨呪詛的暗殺機体《SPECINEFF》 このバーチャロイドにも、ひとつの物語があったことは、誰も知らない事実である。 『タングラム』獲得作戦よりも数ヶ月前。その『タングラム』と第九プラントが突如として姿を消したころ、ひとつの問題が、DN社とバーチャロイド開発班の頭を悩ませていた。  ……その問題というのは、ここ数日間のうちに整備班のもとに送られた故障バーチャロイドの数である。この数日間で故障バーチャロイドの数は十数体にものぼり、整備班では原因もわからずじまいであった。  ただひとつ特徴をあげるとすれば、その故障バーチャロイドは全て、右わき腹から斜めに斬られており、しかも大きな外傷はそれだけであった。……一体や二体ならまだしも、十数体全てのバーチャロイド全てがこうとあっては、同一機の……しかも物好きな奴の仕業と認めざるをえない。  だが、どの機体がそんなことをしたのかは、いっこうに知りえることはなかった。  そんなある日。  バーチャロイドパイロットとおぼしき男が、急ぎ足でDN社の特別通路を進んでいた。年のころなら17、8。顔に少々の幼さが残ってはいるものの、それを打ち消すかのような皮肉気な目が全体的に印象を悪くしそうである。  服はパイロット専用のスーツの上に、軽く上着をかけたくらいのもので、下に着たスーツは、自分の体のラインにぴったりと合ったものだが、それでいて窮屈さは感じられない。とはいっても、もとからそれは動きやすさを重視して作られたものではない。  DN社に属するパイロットの戦場は、電脳虚数空間と呼ばれる所であり、決して陸海空をいく現実味バリバリの軍人ではない。とはいったものの現在は、バーチャロイドの作られた九つのプラントを舞台に、DN社とその反抗勢力であるRNAは戦っている。  ……そんなパイロットのひとりである彼──叶恭介は、なにやら大きめの封筒をかかえ、自室へ向かってわき目もふらずに歩いていた。  彼はつい最近採用されたばかりの、新人パイロットだ。そのせいか、落ち着かずにずっとうきうきし続けている。そんな調子で、彼は大事にかかえた書類に何度も目をはしらせていた。  ──はじめてもらった任務。  しかも、夢にまで見たあこがれのバーチャロイドに乗ってのものだ。  パイロットとはいってもすぐにバーチャロイドに乗れるわけではない。きちんと上が認めた者でなければ、シュミレーションの域をこえることはないのだ。  しかし、それをあっさりとクリアーした恭介にとってはまさに、天にも昇る心地ともいえるだろう。  だが彼は、その任務の本当の目的を、まだ知るよしもなかった。 「さっそく初任務がきたのか?」  恭介から書類を受け取りながら、明は驚いた顔で言う。  明……竜月明。恭介と同期でパイロットに採用されたうちのひとりで、ついでにいえば恭介の幼なじみでもある。そのつきあいは長く、今も昔と変わらずにこうして彼の部屋にきて、お茶とお菓子をごちそうになったりもしている。……明に言わせれば、感情の先だつ恭介を冷静な言葉で押さえるという、なんだか妙なつきあいだ。  明は苦い表情とともに、続けた。 「──怪しさバリバリじゃないか!?」 「何深刻な顔してんだよ。どうせお前もいっしょなんだぜ」 「……は?」 「だ〜か〜ら。お前の初任務が俺と一緒なんだよ。なんだか知らないが、俺ひとりじゃあ無理だって言われてさ。相棒をつけるからって言ったら、ようやっと承知してくれたんだぜ。  今さらひとりでやるなんて言ってみろよ。確実に他の奴に回っちまうよ」  半ば自分を弁護するように、もう半分は勝ち誇ったように、彼は明に向かって言う。明の性格を知っているからこそ、こういうことが言えるのだ。  目つきを半眼にして、明はつぶやく。 「お前、最初からそのつもりだっただろう?」 「さあな。好きに想像してくれ」  あくまでとぼけた口調で言う恭介に、明はさらに目つきを鋭くしながらも、話をもとに戻した。 「それで、初任務っていうのはなんなんだ?」  ため息まじりに、明は尋ねる。  すると突然、恭介は難しい顔をした。しかしこれはたんなる前置きにすぎない。ワザとそうすることで、少しばかり深刻さを増そう、という魂胆である。 「暴走バーチャロイドの捕縛、ないしは破壊。と、その書類には書かれている。   ただし、目標のバーチャロイドに関しては、いっさい不明の一言のみ」 「俺達には知る必要なしってか!?」 「ちげーよ明。その暴走したバーチャロイドはまだ試作段階で、ほんの一部の人間しか全容は知らされていないんだ。開発部の間でも、トップシークレットなんだとよ」 「開発部だったら、ハッキングは可能だぞ」 「……」  明のなんともいえない発言に、思わず恭介は黙り込む。  そこへさらに明は、追い打ちをかけた。 「……で、どうだ?」  ハッキングが失敗すれば間違いなく処罰される。  といっても、明はこれまでに何度も、DN社のデータバンクに侵入している。侵入するたびに強化されているプロテクトをやすやすと解除し、DN社の中の情報をこっそりとみているのだ。  それでも、失敗しないとはいいきれない。  そのために明は、恭介に許可を求めたのだ。  退こうとしない明のまなざしに、恭介はため息とともに口を開いた。 「ハックするのはかまわないが、とりあえずシュミレーションで勝負しないか? さすがにぶっつけ本番っていうのは少しきついからな」 「まあ、な。お前が言うなら、俺はかまわないぜ」 「……機体は?」 「RVR-42」 「またサイファーかよ。たまには別の機体も使ってやったらどうだ?  それとも、そいつがお気に入りなのか?」 「いっつもテムジン使っている奴が、それを言うか?」  あきれたように明は言うが、どうせ恭介は聞きもしないので、これ以上は言わない。  恭介は勢いよく立ち上がると、いきいきとした目で叫んだ。 「今日勝てば、10勝目の大台にいくんだ。ぜってぇーまけないぜ!!」 「はりきるのはいいが、ラムだけはしないでくれよ」  冷静なまなざしと口調で、明はひとつツッコミをいれた。恭介とのシュミレータでの勝敗は、現在8勝9敗と負け越しており、そのうちの7敗は、テムジンの特殊技……通称“サーフィング・ラム”によって決められており、空中戦を得意とするサイファーにとっては痛いものだ。しかもサイファーは、空中に長く停滞でき、早く移動できる分、シールドやアーマーが薄めにセッティングされており、こちらが受けるダメージの一発一発が、どうしても致命傷になりかねないものになってしまうのだ。  対するテムジンは、全バーチャロイドの中でもバランスはよく、攻撃値も高めの機体でなおかつ扱いやすいものだ。そのせいか、DN社でも、その対抗勢力であるRNAも、この機体を一番多く量産していた。  ……まあ機体の性能はどうあれ、結局は操縦するものの腕にかかっている。シュミレーションならいくらでもやり直しが効くが、実践でもそんなことはもちろん不可能である。だが、経験は積んでおくにこしたことはない。 「たまにはラム抜きでやってみろよ。自分の実力が充分すぎるくらいにわかるぜ!?」 「文句を言うくらいなら、よけるなりガードするなり、落とすなりしたらどうだ?」  一応、テムジンの繰り出す“サーフィング・ラム”は、回避することも可能だが、その脅威的なホーミング性能があるために、馴れないとなかなか回避することはできない。撃ち落とすならば、強力な……例えば、レーザーくらいのものでなければ、ラム発生時のエネルギーフィールドを貫くことはできないのだ。 「それができたら文句は言わねぇよ」  ため息まじりに明は言うと、すでに冷めてしまったお茶を一息で飲み干した。  ──薄暗い闇と、かすかに聞こえる電子音。  今ここを支配しているのは、それだけであった。 「……」  わずかに目を開けて、『彼女』はあたりを見た。  何も変わらない景色。しかし、特に感慨を抱くことなく、彼女は再び目を閉じる。  「今日は来ないわね。追手……」   言ってから彼女は、小さく──本当に小さく微笑んだ。  それに誰が答えるわけでもない。しかし、目の前のモニターが、触れてもいないのに突然、光を放った。それは、『彼』からの合図であった。 「どうかしたの?」  彼女は手探りで内部通信をONにした。  すると、機械合成されたような男の声が、彼女に語りかける。 『近いうちにまた、狩りの時間が始まる──』 「そう」  それを聞くとすぐに、彼女は通信を切った。  ほぼ同時に、触れていないはずのモニターから、光が消えていた。 「さあて、はじめるか」  少しばかり機嫌のいい明が、自分専用のノートパソコンを取り出し、スイッチを入れた。  数秒のち、ディスプレイ部分に、“Welcome to DNAnetwalk”と表示され、二十近いメニューが即座にあらわれた。 「DN社のネットケーブルに直接つないであるのか?」 「ここまでつなげるのに、時間かかったぜ。  よっぽどのことがない限り、ここからのハッキングはわかりっこない。安心しろ。  じゃあ恭介、まずはどこを見る?」 「どこ……って、開発部だろう!?」  他にどこを見るんだよと言いたげな目で、恭介は言う。 「あそこのプロテクト、固いんだよな」  顎の下に手をやりながら、明がつぶやく。  その言葉に恭介は少し心配になった。 「大丈夫か?」 「まかせておけ。がちがちに固いプロテクトを解除していくのは楽しいぞぉ♪」 「あ、あのなぁ……」  本当に楽しそうな顔をして言う明に、恭介は半眼でぼやく。  だが明はすぐにその顔をいつもの無表情に戻すと、 「本気にするな、冗談だ」 「……」  その表情の変化に、恭介は馴れてはいるものの、彼は肩をすくめざるをえなかった。……そんな恭介を視界のはしにとらえながら、同時に彼はキーボードを叩きはじめる。  恭介には明が何をやっているのかはまったくわからないが、彼が打ち込んでいくたびに、次々と画面が入れ替わっていくことくらいなら、彼にも理解はできた。  ……それがどのくらい続いただろうか。 「これでよしっと」  ずっと手を動かしていた明の手が止まり、画面には12個のメニューがならんでいた。  そうやら、全てのプロテクトを解除したようだ。 「さて恭介。お前の野性的なカンで教えてくれ。  この全12体のバーチャロイドの中で、今回問題になっているのはどれだと思う!?」 「野生のカン……ってなんだ?」 「ときどきお前、変にカンがいいからな」  あっさりと答える明に、何か腑に落ちない顔をするが、恭介はすぐに話を切り替えた。 「一応、整備班から聞いたんだが、ここ数日間で破損ないし破壊されたバーチャロイドは全て、ビームサイズによる傷跡があったそうだ」 「ビームサイズ? そんな武器持った奴がいるなら、とっくに見てるはずなんだがなあ。  まあいい。これでかなり絞れるな」  まず自分たちの使う機体は除外できるし、他にもだいたいがビーム(ショート)ソード、トンファー、ナイフ、ドリル、ロッド、ハンドビット……など、けっこう個性的(?)ではあるが、どれも該当しないものばかりだ。  しかし。 「なあ、これがそうなんじゃねえか!?」  恭介が指さしたのは、『関係者以外検索禁止』と表示されたものだ。コードナンバーだけは表示されているが、その機体の概要だけはいっさい出ていなかった。 「こんなあからさまに怪しいのをか? まあ、コードナンバーは表示されてるから、確実に作られてはいるだろうし、一切不明ってわけじゃないか」  頭をかきながらぼやく明をよそに、恭介は画面をのぞき込みつつ言った。 「RVR-87? ずいぶんと他のものよりとんでるな」 「コードナンバーなんてもんは、開発部が決めることだ。……やれやれ、正しいナンバーを入力しないと気づかれるな」 「できるか?」 「まかせとけ。人は俺をハックの鬼と呼ぶ」 「誰が呼ぶんだよ。そんなダセェ名前」 「……」  明は答えない。そのかわりにまた、キーボードを叩きはじめた。無論、そのメニューに該当するコードを入力しているのではなく、まったく別の方法で侵入することにしたようだ。  それを見ながら、恭介はあらためて感嘆の声をあげる。 「しっかしまあそんな技術、どこで覚えたんだ?」 「知り合いから以前、こういう仕事を頼まれたことがあってな。独学でやっていたら今に至ったってことさ。さあ、できたぞ。少し時間はかかるが、きちんと情報が入ってくる」  そう言うと彼は席を立ち、手近にあったカップに手をのばした。そのカップにはすでに、湯気のたつコーヒーがそそがれていた。もちろん、明好みのブラックコーヒーだ。  ジッと画面を見つめながら、恭介は暗い顔をして口を開いた。 「なあ明。その暴走したバーチャロイド、“RNA”のヤツだったらいいのにな」 「どうしてだ?」  カップを傾けながら、明は問い返す。 「だってよ。もしもこっちのバーチャロイドで、捕らえることができなかったら、そいつを破壊しなければならないんだろう!? なんかそれだと、後味悪いよ」  めずらしく弱気な恭介に、明はひとつため息をついた。 「DNAもRNAも、バーチャロイドを操っているのは人間だ。お前のその考えは、偏見にすぎない」  あくまで冷静な明に、恭介は目を伏せてつぶやく。 「けっきょく、殺しあいなんだよな」 『……』  そこで互いに沈黙がおりる。二人ともわかっているとはいえ、それはいつまでも馴れることのない真実なのだ。バーチャロイドに乗って戦っているから、相手の痛みがわかることができない……それはシュミレータと同じであっても、実戦ではまったく違う。  それだけが、パイロットに枷られた唯一の悲しみだ。 「わかっているけどわかれない、か」  ぽつりとつぶやく恭介。  いつもならあっさりと受け流せる明も、今ばかりは無理なようだ。  と、その時。  ピピピッ  と全ての情報を読み込んだことを知らせるアラームが、気まずい空気と二人の間を駆け抜けた。その音で二人は、強引に空気の重みをとろうと、同時に手を打った。 「来たみたいだな」 「さあ〜て。じっくりと見せてもらいましょうか」   二人同時にディスプレイをのぞくと、そこには二人の知らないバーチャロイドの姿があった。 「RVR-87」 「怨恨呪詛的暗殺機体」 「スペシネフ」  お互いに一言ずつゆっくりと読みながら、彼等は顔を見合わせる。  そしてすぐに感想をのべた。 「なんていうか、二つ名も姿も怪しさ大爆発だな」 「それは同感だ」  二人がそう思うのも無理はないだろう。  ……その機体をひとことで説明するなら、『機動性を向上し具現化された悪魔』である。  顔つきは一目で骸骨を思わせるだろうし、その手には鈎爪でしかないような、長く伸びた左右四本の指。本来ならあるはずの腰の部分はなく、胸部から脚部までを、人でいう背骨だけでつながれていた。……そしてその背には、一対の、刃をともなった羽。そこにはDN社の紋とともに“DNA.VR.CORPS”と描かれていた。  ──何よりもその機体は、他のバーチャロイドとの共通点が少なかった。それは、女性型バーチャロイド『フェイ-イェンkn』や『エンジェラン』と同様に、これまでのものとは異なものであった。 「つまり俺達は、こんな得体の知れないような奴を相手にするのか!?」  半ば信じられない。といった風に、恭介は顔をゆがめる。  それに同意するように、明は肩をすくめると、 「言ってみれば俺達は“具現化された死神”を相手に戦いを挑むってことさ。しかも、相手のことを何も知らない状態でな」  回線とスイッチを切り、ディスプレイをパタンッと閉じてから、明は恭介の方を見た。彼はめずらしく、冷静な顔をしていた。というよりは、内心で静かに怒りを燃やしているように明は思えた。  それを妙に思ったか、明は自分の手の中にあるカップを近くにおいて、恭介を呼んだ。 「恭介?」 「……冗談じゃねえ」  ぽつりっと彼はつぶやく。  それから小刻みに肩を振るわせ、次の瞬間、いきなり声を張り上げた。 「冗談じゃねえ!! なんで新入りのパイロットにそんなことを押しつけるんだよ。  俺はあっけなく人生の幕をおろすためにパイロットになったんじゃねぇんだ!!」 「だが、DN社にもパイロットは少ない。となれば、こういう任務がいくらでも新入りにおりてくるし、それに、俺達が止めなければ、この被害はさらに大きくなる」 「そんなありがちな義務感がなんだっていうんだよ!! 俺はまだ死にたくねえ。他人のことなんか知ったこっちゃねえ。……そんなもん、ほおっておけばいいんだ!!」  やや少し焼け気味な恭介に、明は冷たい視線を向けた。しばらく彼の方を見ていたが、明は苦笑いを浮かべてそっと目を閉じた。……いつもの冷静さは変わらない。  あらためて目を開けると、少しは落ち着いたらしい恭介が、彼の言葉を待っていた。  その様子に感づくと、明は口を開く。 「落ち着いたようだな。……いっておくが、俺は死にに行く気はない。誰かが仕掛けた死への舞台へ乗り込むというのなら、その台本を書き換えてしまえばいい。それも、その脚本家には内緒でな」  そう言って彼は、口の端の笑みを消した。わざわざ自分の表情をなくしてから、さらに明は続ける。 「まあそれに、今さら拒否なんてできそうにないしな」 「もとから断る気もないだろう。お前も俺も」  そう言って彼は、いつもの皮肉った笑いを明に見せる。そんな恭介を横目に、明は内心で肩をすくめてから、遠方に目をやった。  こうするだけで、自分の脳裏から浮かびくる自分の過去。今出てきたのはパイロットテストでいきなり自分に声をかけてきた幼なじみのこと。突き放しても突き放しても負けじとよってきては、しばらく会わなかった自分にいろんなことを尋ねてきた男。  それが、叶恭介だった。  その時明は、ずっと彼を無視し続けるつもりであった。昔から変わらぬ所──自分が少しどこかへ行って戻ってくると、好奇心旺盛な目で、明にいろんなことを尋ねてくる。どんなに答えないようにしていても最後には答えてしまうという、恐怖の必殺技(?)だ。──そしてこの日もまた、同じことが展開された。  いつもよりも1.5倍くらい多い質問のひとつに、半ば投げやりな態度で、うっかりと答えてしまったのだ。その時のことを明にいわせれば、一生の不覚だそうだ。  だがそのあとで恭介のテストシュミレーション──O.M.Gの時に使用されたバーチャロイドのシュミレータを用いての対戦方式でためしていた──を見て、明は唖然とした。恭介の腕は、他のテストパイロットよりもはるかに群を抜いていたのだ。それこそ、すぐ実戦へ投入してもいいくらいのものだ、と明は感じとった。  次々と勝ち抜いていく状況を見ながら、我知らず、明は自分の番を心待ちにしていた。  そしていつしか自分の番が来て、いつの間にか終わっていた。明自身にも、その時どんな戦いをしていたのかは覚えていない。ただ、気づいたときにはやられていたのだ。  しかし、悔しさはなかった。  逆にその時彼は、ひさしぶりに笑っていたのだから。 「明。あーきーら!」  ひとりで勝手に回想にふけっている明に、恭介は取り残された子供のような表情で明の名を呼び、彼の体を揺らした。  とたんに、ハッとしたように明は、彼の方へ顔を向けると、 「どうした?」  という風に、いきなり冷静な表情と声で言われると、恭介の方が答えにくくなる。  やや気圧され気味の恭介に明は、一拍間をおいてから小さく笑みを浮かべた。 「もうそろそろ休んでおけ。明日は少し早いだろうし、何が起こるかわからない。  そのために、今夜一晩休んで、覚悟を決めておけ」  あくまでいつもの冷たい口調のままで言う明に、なんのひるみもなく、恭介はただ「ああ」と答え、軽く手を振ってから、明の部屋を出ていった。 「……最悪の事態はあっても、奇跡は起こらない。  それが事実だということもな。恭介」  音もなく閉まるドアを見つめながら、明はひとりごちた。  そのセリフに答えるものがいないのを知っていて── 『明、聞こえるか?』 通信システムが正常かどうか確かめるために、彼は少し離れたところに立っている明に向かって声をあげる。声をかけられた明はというと、重いまぶたをこすりこすり、片手をあげて彼に答えてやる。  その目は、不機嫌きわまりなかった。  現在の時刻は朝の五時。健康優良児の恭介とは違い、明は少々低血圧で、朝は弱い。とはいっても、これから眠るわけにもいかないが。 「こんなに朝早く出撃するなんて、聞いてなかったよ」  ため息まじりに彼は、自分の隣で色々と説明をしてくれている、整備班とおぼしき男に向かって言う。その男も、申し訳なさそうな顔をして、明の方に視線を向けた。 「今日にはいってから、奴が動いたという情報が入りましてね。それで確認したところ、3rdプラントの方で発見され、再び動かれる前にこちらからいってやろう。といことになったんです」 「ま、その判断は的確だと思うぜ。  ……ああそうそう。発進の時は、あいつを先に飛ばしてくれ」  そう言って彼は、すでに自分の機体に乗っている恭介の方を指さした。  ──明は今回、恭介のサポートにまわるつもりである。  いまだに二人とも、相手の機体の全てを知ってはいなかった。そんな状態で突っ込んでいっても、返り討ちにされるのがオチだろう。そこで、恭介の天性のカンと持ち前の腕を持って相手に突っ込ませ、その間に明が機動性やら何やらを計算し、それをふまえて恭介に指示を出していく、という作戦をたてた。  恭介の方も、その作戦にはいぶかしげな顔をしながらも、承知はしてくれている。  あとはぶっつけ本番でどこまでいけるか、だな。  口の中でつぶやいて、彼は恭介の搭乗しているバーチャロイド『テムジン』を見上げた。10メートル以上の全長を持つバーチャロイドは、それだけで異様な雰囲気をかもし出している。それがこの凡用機体のテムジンであっても同様だ。  と、その時。 「なあ明。お前も自分の機体のチェックにいったらどうだ?」  ハッチを開けて、かなり上の方から恭介が言ってくるが、あくまで明はうっすらと笑みを浮かべて言い返すだけだ。 「余計なお世話だ。──いいからお前は自分の機体のセッティングを済ませろ。  俺はお前の半分の時間でできるんだ。発進が遅れるなんてことがないようにしてくれよ」 「早けりゃいいってもんじゃねぇよ。ゆっくりと時間をかけてみてやった方が、自分のためになる」  たしかに、それは正論だ。  全てのバーチャロイドは、基本的にきちんと調整はされている。だが、自分のやりやすいように機体を、わずかだが調整することは可能だ。……恭介が言いたいのはそれである。  明は小さくため息をつくと、彼に背を向けた。 「……あと五分で終わらせろ」  言って彼は、自分の乗る機体『サイファー』のおいてある格納庫の方へと歩いていった。 「なんだよ明の奴、やけに今日は神経質だなぁ」 「出撃前っていうのは、あんなもんですよ。……それよりもセッティングを急ぎましょう。目標がまた狩りをはじめる前に、こちらが叩かねばなりません」  自分のすぐ近くで指示を出してくれている男が、ハッチを閉めるよう、彼にうながした。もちろんそれに応じて、恭介は力をこめてハッチを閉じた。  同時に彼のまわりの全てのモニターに光がともり、正面のモニターに『Mind shift-battle system Ver5.2』と小さめの文字で表示され、一瞬の間をおいて、五つのメニューが表示された。  彼は外からの指示を受けながら、少しずつ各系統にチェックをいれていく。 《全シールドシステム、正常ニ作動中。全ウェポンノエネルギーチャージ完了。ターボユニット、センサーユニット、トモニ正常。現在、全システムニ異常ハミラレマセン》 「了解。……MVB-707-F、全チェック終了。いつでも発進は可能です!!」  恭介はコックピットの外へ……少し離れた制御室の方へ、それを伝える。とはいっても、機体のチェックが済みしだい、それは自動的に制御室の方に送り込まれるので、本来ならが自分で伝える必要はない。だが、あえて彼はそれを行った。そうすることで、彼に内側に潜むわずかな緊張をなくそうとしていた。  とその時。 『恭介。聞こえるか?』  通信スピーカーを通して、明の声が聞こえてきた。その声は、極力大声になるのを避けているようだ。 「なに固くなってんだ?」 『お前は気楽だな』  あきれたように言う明に、彼は小さく笑うと、 「先のことは考えないようにしているからな」  と、あくまで気楽な声をあげ、さらに続ける。 「生きるか死ぬかって時の考えじゃないが、俺は昔からこういう考えを持って進んできた」 『その言葉を道しるべに、ここまで来たってか?』 「言ってみりゃあ、そんなとこだ」  肩をすくめて(といっても、明には見えないが)、恭介はあっさりと首を縦に振った(これももちろん見えていない)。  その答えに、明はふんっと鼻をならし、小さく苦笑する。  と同時に、発進を知らせるアラームが、その会話を中断した。 『さ〜て、お仕事お仕事っと♪』  さっきとはうって変わって明るい明の口調に、恭介は思わずコックピットからずり落ちそうになる。しかし、なんとかそれをこらえつつ、彼は静かに目を閉じた。……こうすると、シュミレータをやっているときと同じ感覚が──言葉では表しにくい自分の中の何かが、つながれている鎖を振り切って、己の方へとその鎌首をもたげてくる。  それはまさに、普段自分の中にひそんでいる闘争本能そのものであった。 「お前も今、そんな気持ちなんだろうな。  頼むぜ、俺の愛機兼相棒さんよ」  そう言って彼は目を開ける。  メインモニターには、長い発射口が映し出されていた。  転送カタパルトだ。  ここから外へ…電脳虚数空間へと転送され、目的地に向かう予定になっている。あとはその間に、相手が別のプラントへ動かないことを祈るだけだろう。  そして── 《Get ready?》  聞き慣れた機械音声とともに、彼は青く澄んだ電子の空へと飛んでいった。  ……場所は変わってここは3rdプラント『Moony-Valley』。  見た感じは巨大なエレベーターだ。とはいっても、実際に五百メートル以上の大きさのものに、何を運ばせるというのだろうか。  しかし、別の見方をすれば、おのずと答えは見えてくる。  つまりは、バーチャロイド達が別の場所へ行くために作られた、電脳虚数空間内における運搬機。もしくは、彼等にとっての戦場だ。  だが今ここは、運転を中止しており、ここしばらくは動いていなかった。  ──そんな所に『彼』はいた。  RVR-87。怨恨呪詛的暗殺機体・スペシネフ。  今『彼』は、はるか遠くからくる新しい追跡者達の声を聞きながら、意識を半分だけ眠らせていた。  それと、『彼』のパイロットも。  コックピットの中で、彼女もまた夢さえ見ず、深い眠りについていた。  こうして静かに、ゆっくりと寝ていられるのは何日ぶりなのかは、彼女は覚えていない、しかしここ二日間、一度も追跡者達が来なかったのだけは、さすがに覚えている。──DN社が自分たちの追跡をあきらめたのか、それとも、とっておきの者を送りつけるための準備なのか……どちらにせよ、自分たちがこうして休んでいられるのは、正直いってラッキーであった。バーチャロイドはともかく、パイロットの方を少しでもいいから休ませておきたかったからだ。いつまでも張りつめた精神のままでは、冷静な判断ができなくなる。  『彼』は先ほどまで、そのことが心配であったが、もういいことだ。  ……いつものように、『彼』は彼女に話しかける。 『いつまで寝ているんだ。起きろ、獲物がくるぞ』  そんな『彼』のセリフに、彼女は目を閉じたまま瞬時に覚醒した。……そのままの状態で、彼女はひとりつぶやく。 「……もう、来たんだ」 『向こうも本気のようだ。今回は二体送ってきたよ』   彼女のひとりごとに、『彼』はうれしそうな声をあげた。だが彼女はそれを無視しながらも、『彼』に向かって問いかける。いつもと同じ、硬質的な声で。 「相手の機体は?」 『テムジンとサイファー』 「まさかまた、くだらないことしかしないパイロットじゃないでしょうね?」 『その点は心配無用だ。まだ新入りだが、腕はそこらの奴よりもはるかに上。  たぶん、お前が失望することはないだろう』 「だといいわね。……さあ、お客様を迎えましょう」 『了解』  ずっと無機質な声で言い続ける彼女に、『彼』は奇妙な感覚をおぼえながらも答えてやる。その感覚に『彼』は気に止めることはしない。それはただの──自分のパイロットに対する些細な疑問にすぎないのだから。  「さてっと」  全身の筋肉をほぐし、彼女は目を開ける。  瞬間的に、彼女の瞳は虚ろから鋭さにとって変わる。──その目はまさに、獲物を狙う冷たい獣のまなざしだ。  ほぼ同時に、『彼』……スペシネフの目にも、冷たい光が宿る。  『彼』はおもいっきり自分の四肢を伸ばし、手近においていたロングランチャーを手にとった。  そして、二人は同時に口を開く。 『──狩りの時間か』  己が手に自由をえるために、暗殺者は再び動き出す。  その先に何が見えるとも、何があるともわからずに…… 「なあここだろ。3rdプラントって」  あたりを警戒しながら、恭介──テムジンは、少し上を飛んでいるサイファーを見上げ、尋ねた。ここの情報は、来る前にいただいているので、一応把握してはいるが、電気系統が死んでいるのでは、前も後ろもろくに見えない。  これでは、もしもの時に自分の縦になってくれる障害物さえ確認できない。  半ばぼやくような口調で通信してきた恭介に、明もなげやりな表情をつくって答えてやる。 「こっちのモニターには3rdプラントって表示されている。だが、こうも暗いと確認できん」 『冗談きついぜ。こんな時に襲われたら、ここまで来た意味がねぇよ』 「あのなあ恭介」  やれやれ、といった風に肩をすくめて、明はさらに続ける。 「見えないのは向こうも同じなんだぜ!? もしもあっちが暗視用モニターを装備していたとしても、遠距離まで見えるような高性能なものは、DN社には存在しない」 『一応信用するが、嘘ついてたらレーザー撃つぞ』 「どうぞご勝手に」  そう言って明は、自分から通信を切った。すぐに視線をあげてモニターを見ると、なにやらいくつもの小さな光が映っている。  それは空中にいる明よりも、地上にいる恭介の方が、それの正体を確認できた。 「炎……か?」  紫色の光を放つ、いくつもの炎を見ながら、恭介はつぶやく。しかし彼はその炎の放つうっすらとした光の中に浮かび上がった何かのシルエットに息を飲み込み、モニターをしっかりと見すえた。  とその時、どこからともなく聞こえてくる笑い声に、二人は耳を澄ませた。その声は、人とは思えぬ、機械合成されたような男の声であった。 「おいでなすったぜ」 『待っていた、の間違いじゃないのか!?』  二人がそんな風に、空と地上で通信をかわしていると突然、六つの炎がいっせいにはじけ、そのかわりというかのように、今立っている床と、はるか遠くの空間に光があらわれた。  彼等はそのおかげで、ようやく立っているものの正体をつかみ、そして、目の前に立っている黒いバーチャロイドの姿を捕らえることができた。 「あれが、スペシネフ」  半ば絞り出すような口調で恭介はつぶやく。気づかぬうちに、彼のほほには一粒の汗が流れていた。目の前に立つバーチャロイドのプレッシャーに、彼は押されていた。  一方そんな彼を見て、『彼女』は小さく笑みを浮かべた。 「あなたはカンがいいわね。ほんとうに、楽しめそうな相手よ」 『そいつはどうも。……あいさつはしないのか?』  少々おちゃらけた様な口調で『彼』は尋ねるが、彼女が答えを口にする前に、『彼』は恭介達の方へと声をかけた。冷たくはあるが、その『彼』に、警戒心はまったくない。 『お前たちも不幸だな。まだパイロットになったばかりだというのに、こんな任務を渡されて』  そのセリフに、恭介は眉を跳ね上げた。  ……何故こいつがそれを知っている!? 『驚くのも無理はなかろう。だがな、自分たちの情報は常に筒抜けなんだってことをおぼえておけ。  そいつは、電脳虚数空間であっても同じだというのもな』 「そいつはどうも」  いきなり忠告してきた『彼』の態度に、恭介は少々警戒した口調とともに礼をのべるが、明は何も言わなかった。ハッカーとして実力を持つ明は、そんなこと百も承知している。  だから、礼を言うかわりに、別のことを言うのだ。 「俺達は別に、話をするために来たんじゃない」 『それもそうだ。  ──さて、これから死に行く者達に、私の名を教えておこう。  すでに承知しているとは思うが、私がスペシネフだ』 「……は?」  いきなり自己紹介をしてくる『彼』に対し、恭介は目を丸くして、ついでに間抜けな声をあげた。  その反応に『彼』はあきれたようにしてさらに続けた。 『何もそんなに驚くことはなかろう。   それとも、知らなかったのかな?  ……私のデータを見たのに、それでは話にならない』 「ンなこと言われても、俺は何もしらねぇよ」 『だとしたら、上にいる坊やが知っているさ』  そう言って『彼』は、上空を飛行形態で飛び続けているサイファーに向かって視線をはしらせた。先ほどから上を飛び回られて少しうっとうしいとは思っていたが、今すぐに落としてしまってはおもしろくない。落とすだけなら、先にめんどうな方を落としてしまってからでも遅くないと、『彼』と彼のパイロットがともに判断したにすぎない。  そんな彼等の胸中を知ってか知らずか、明はひとつ息を吐き出してから口を開いた。 「……意識と心を持ったバーチャロイド。か!?」  明の言葉に、『彼』は小さく首を振って、自分の手を──鈎爪でしかない四方の指がついた自分の左手を軽く持ち上げ、言った。 『お前は見ただろう!? 私達が追われる羽目になった理由を……』 『──スペシネフ。おしゃべりがすぎるわよ。今はそんなことを話している場合ではないわ』  スペシネフの言葉をさえぎって、硬質的な女の声が、恭介達の耳に入ってきた。それは無論、『彼』を操っているパイロットの声だ。  彼女は口元に浮かんでいた笑みを消して、一呼吸の間をおいてから、恭介達に語りかける。 『あなた達……わたしを捕らえに来たの? それとも、破壊するために来たの?』 「それは、あんたの答えによる。  今からでも遅くはない。投降してくれないか?」 『それはできない。わたしはもう、この機体からおりるわけにはいかないのよ』 「戦うしか、ないってのか?」 『そうよ』 「他に道は……」 『ないわ』  恭介と彼女が話をかわしている間に、突然、スペシネフが動いた! 『彼』はロングランチャーを両手に持ち直し、前触れもなくいきなりそれを薙ぎはらう。  そこから生み出された衝撃波は、寸分の狂いもなく、テムジンの横を通りすぎ、はるか遠くの空間へと消えていった。 「なっ!!」  さすがにこの行動には、恭介も声にはならなかった。彼はすぐに自分の機体で飛びかかろうとするのを押さえ込み、それでも、声を荒げて叫んだ。 「てめぇ、どういうつもりだ!!」  しかしそんな彼の怒りも、彼女にとってはのれんに腕押し。返ってくるのは、いっさいの動揺がない無機質な声であった。 『これはわたしたちからの宣戦布告よ。  死神に戦いを挑むことの愚かさを、身をもって教えてさしあげるわ』  彼女が言うと同時にスペシネフは、その軽量感からも想像つきかねないほどのスピードでダッシュをかけ、恭介の──テムジンの視界から消えてしまう。 「さすがに、早いな」  内心で舌打ちしながらも、明はすぐにスペシネフを追いかけるかたちでレバーを倒した。  飛行形態を続行したままなので、相手を捕捉することはむずかしい。がしかし、そこは自分の腕がさえる所。それからすぐにモニターにスペシネフの姿が表示され、自動的に『彼』をロックオンする。  だが明は、相手の出方を待った。今攻撃するのはたやすいが、同様に、自分が撃墜される可能性も高い。それに自分は、恭介に指示を出していくつもりでスペシネフを捕らえたのであって、攻撃するつもりは毛頭もない。  まあ、恭介が危なくなったら、さすがに助けにいくだろうが。 「ま、気長にいくか」  といってふと、別角度のモニターを見れば、テムジンとスペシネフの姿と距離が、断続的に表示されていた。これは特別に、整備班に言って取り付けてもらったもので、普通なら正面のモニターについているはずの距離計を、サイドモニターに表示させるかたちになっていた。  現在、彼等の間には四百メートル近い間合いがとられている。それはどちらかが動きやすいと思われる間合いなのだろう。  そしてその距離はおそらく、『彼』にとってかなり有利な間合いなのだろうな──  胸中でそんな風に考えをめぐらせている明に、小さなアラーム音が警告を知らせる。  それは『彼』が動いた知らせであった。  はじめは独特なリズムで、すべる様に歩いていたスペシネフが、テムジンとの間合いが三百に詰まったところで、その脅威的なスピードをもって、一気に詰め寄ってきた。  そして、テムジンが反応する前にすれ違い、振り返ってランチャーを一発。  しかしそれは、ぎりぎりの所でかわされていた。タイミングは完璧なはずだったのに、だ。  そこからのカウンター狙いで、テムジンがダッシュとともに、ライフルをたてつづけに三発放つ。軽量級のバーチャロイドならば、これだけでも致命傷になりかねない一撃だ。  だがこれは、再度ダッシュをかけたスペシネフにかすりもしない。 「早けりゃいいってもんじゃないぜ」  驚きさえ見せずに、恭介は言う。同時に、百メートル近い間合いにもかかわらずに、テムジンがその右手のビームソードを横薙に振った。  即座にスペシネフは自分の両腕を目の前で交差させガードの体勢にはいる。と同時に、ソードの切っ先が『彼』の腕をわずかに削りとった。……テムジンのソードのリーチが異様に長いことを、彼等は知っている。その長さで一度、片腕を落とされたのだから。  ……ソードのお返しとばかりに、スペシネフは右方向にダッシュしつつ、ランチャーから変形させたビームサイズをおもいっきり振る。そこから発生したエネルギー波──いや、エネルギーカーテンが、テムジンめがけて直進してきた。 「甘い!!」  そう叫び、攻撃を避けるかたちでわずかに横へずれ、そこで足を止めたテムジンの動きに、スペシネフは目を細めた。 (そんな位置ではかわせない)  その心の声に従ってか、直進してくるはずのエネルギーカーテンが、突如方向を変えてテムジンの方へと向かっていく。 「!!」  とっさに恭介はレバーを倒し、ダッシュをかけていた。  その無意識的な行動が功を成し、彼の機体はダメージをまぬがれた。 「ひえ〜。危ねえなあ」  大量の冷や汗とともに、恭介は軽く頭をかく。内心の動揺はそれくらいのものではなかったが、それが恐怖に変わることはなかった。 『油断してるからだ、バカ。  今の誘導性能、おぼえたな。俺が指示を出さなくても、かわしてくれよ』 「大きなお世話だ!」 『そら、くるぜ』 「おいっ明!!」  プツンッ  一方的に通信を切ってしまった明に文句を言おうとするが、モニターに映る、自分に向かって飛んでくるランチャー弾を見て、彼はそれを断念。しょうがなく、回避に専念する。  中間距離から次々に飛んでくる弾を難なく避けながら、彼は攻撃するチャンスをうかがう。スペシネフから放たれてくる弾は、恭介にとって、楽にかわせるようなものだ。不規則で撃ってくる弾の回避は、明とのシュミレーションで馴れたものだ。  だがそこへ、第二波が襲ってきた。 「おいおい、奴にはチャージ時間がないのかよ!!」 『ンなわけあるか。──右方向150だ。きちんとよけてくれよ』 「了解!!」  ツッコミながらも指示をくれた明に礼を言い、同時に回避を行う。  横ダッシュから斜め前へと移行し、そこからライフルを撃とうとする……だが、先ほどよりもさらに誘導性能の高いエネルギーカーテンが、まともにテムジンを直撃した。 「あいったぁ〜」  一瞬目の前が真っ暗になり、軽い衝撃が彼の体を揺らす。大きく頭をふりふり、シールド残量に目をやる。今の一撃で、15%はもっていかれていた。 「チッ、シャレにならないな」 『──今のが避けられないの? それじゃあ、わたしは倒せないわ』  彼女のセリフに、恭介ははじめて寒気をおぼえていた。彼女の声音は、人を殺していっても変わることのない様な硬質さをその内に秘めていた。まるで、心をもたぬ、生きた人形のようなもの。  ……それは、死神を操るパイロットにふさわしいと言えるだろう。 「心を持ったバーチャロイドと、心を持たぬパイロット。か」  二体の動きをしっかりと捕らえながら、明はぽつりっとつぶやいた。普通ならば逆であるはずの彼等は、その状態できちんとバランスをとっている。少なくとも、明の目にはそう映っていた。 「だが、破壊することにかわりはない」  目を細め、彼はあっさりと言ってのけた。   戦いに、私情はいらない。  それが当たり前だ。  ……ならば彼等は、何故に戦う必要がある?  逃げるだけなら、あっさりと振り切ることができるはずだろうに……何故?  止まることのない疑問が、彼を悩ませていた。  一度遠距離にさがって、彼は、まだぼやけている頭に渇をいれる。まさか、いきなりこんな手痛い一撃をくらうとは、思ってもみなかった。 「腕と機体性能の違いか」  さっきと同じように弾を避けながら、恭介はひとりごちる。  その状況は、シュミレータ時の恭介と明と同じであることに気づき、小さく頭を振った。どんなに強い機体であっても、結局は自分の腕次第なのだというのは、パイロットとしてよくわかっている。だが、それでも彼はそう思わずにはいられなかった。 「まったく、引き受けるんじゃなかったよ」  そう言いながらも、彼はきちんと操作をしていた。    テムジンの左手よりあらわれた、バーチャロイドのにぎりこぶし大のボムを、少し前に放り投げた。それは地面に着弾すると同時に爆発。周囲にドーム状の爆炎をまき散らしながら、スペシネフに対しての目隠しになる。  その間にテムジンは、スペシネフのいる方に向かってダッシュ。『彼』の姿を確認すると同時に、ソードを一閃した。そこから生じた軌跡が形となり、スペシネフの方へと飛んでいく。  ……それとほぼ同時であろうか。  オオォォォォォォンッ  空気そのもの振るわせる音をたてて、スペシネフの左手から『彼』の手と同じくらいの大きさの、紫色をした光球があらわれ、ゆっくりとしたスピードでテムジンの方に向かっていった。 「なんだこりゃあ?」  すぐに方向を変え──その前にライフルを撃って──テムジンはダッシュをかけて再び中間距離を保ちながら、その光球をかわす。  スペシネフはもう一つそれを放ってからダッシュ。二つの光球の間をぬってランチャーを撃っていき、その放たれた弾を即座に追いかけて、さらに一撃した。  ゆっくりと飛来してくる光球には目もくれず、彼は細かく指示を出してくる明の声をしっかりと聞きながら弾を回避し、隙を見てはライフルを撃つ。  すると突然、さらにその間をぬうようにして、紫色の衝撃波が襲ってくる。 (これは、地上じゃ無理だ)  恭介は目を細め、即座にテムジンはジャンプ。空中でダッシュをかけ、器用に方向を変えて衝撃をかわすと、タイミングを見計らってライフルを二発。それは、ちょうどランチャーを撃ったばかりのスペシネフに直撃した。  倒れはしないものの、『彼』の体が一瞬揺らぐ。  ──そこに再び、隙が生じる。  着地をしたテムジンが、そこを狙ってライフルをかまえた。  その時。  背後から突然、小さな爆発が起こった! 「ンだと!!」  バランスをくずして、せっかくのチャンスを逃してしまったことよりも、突然起こった謎の爆発の方が気になったが、それを確認している暇はない。その一瞬の間に、スペシネフの姿が消えてしまっていた。  すぐさまジャンプをして、スペシネフを捕捉。  そこで彼は何を思ったのか、ターボシステムのリミッターを解除。着地をすると同時に、彼は右のトリガーを引いた。  テムジンは地面にしっかりと足をつけ、膨張して二倍くらいの大きさになったライフルを両手でかまえた。そして次の瞬間、そこに収縮した光が一条のレーザーへとかわり、発射された。 「──っ」  強力な反動に、テムジンはたたらを踏む。 「いやー、さすがに反動がでかいねぇ」 『お前、いきなりターボショットを撃っちまっていいのか!?』 「一発ぐらい平気だって」  ……ターボショット。バーチャロイドのメインシステムがVer5.2になってから開発された、新しい攻撃方法だ。通常、ダッシュに使用される機能を一時的にウェポンシステムの方につなげ、通常のショットを強化、変化、もしくはまったく違う攻撃に変えてしまうものである。──各バーチャロイドには、それぞれ決まった数のターボショットがあり、どれも戦いの流れを自分に引き寄せるためには重要なものといえるだろう。  ただし唯一の難点は、それを撃ったあとのチャージ時間が長くなるものもある、というところだ。 『気をつけろ、その一発が命取り』 「はいはい」  ……文句があるならおりて来いよ。  と言いたいのを必死でこらえ、恭介はレーザーをきちんと回避していたスペシネフの方に視線を戻した。 『彼』はちいさく笑みを浮かべると、自分の内側にいる彼女に話しかける。 『楽しませてくれるな』 「ええ」 『なんだ、嬉しいのか?』  笑っているような口調で答えた彼女に、『彼』は尋ねかける。どうやら、ひさしぶりに奥へとしまわれていた感情が少しずつ舞い戻ってきているようだ。そう。それはまさに、非情の暗殺者から、戦いを楽しもうとする戦士へと変わっていく瞬間ともいえよう。 「何故だかわからないけど、わたし今最高の気分よスペシネフ。こんなに嬉しくって、こんなに楽しくって、他では得られないようなものが、わたしの心に宿ってくるの」 『それは私とて同じだ。  ……だがな、わかっているだろう!? 今はそれに浸っている場合ではないことを』 「ええ。わかっているわ」  再び、彼女の瞳から光が消えた。  戦士になろうとしていた女は、自らそれを受け入れ、そしてそれを拒んだのだ。  彼女はあくまで、暗殺者なのだから…… (全てが終わるまで、私に心はいらない。心なんて、いつでも手にはいるんだから)  内心でつぶやく彼女の言葉に耳を傾けずに、『彼』は再び自分の左手から紫色に輝く光球を造り出し、それを放った。  それを見て、恭介は即座に明の方へ問いかける。 「明!! あの球は一体何なんだ?」 『凶悪なまでのホーミング性能をもった、極小のボム。としか言えない』 「ってぇことは、一度や二度よけたくらいじゃあ、意味がないのか」 『ま、そういうことだ』  あっさりと返してくる明に毒づきながらも、恭介はまず、ゆっくりと飛んでくる光球をダッシュでかわし、ライフルを撃とうとする。……だが、避けた先にはタイミングよく撃ち出されたランチャーが待ちかまえていた。  躊躇している暇はない。すぐにダッシュ方向を変えてそれを避け、もう一度ライフルをかまえて、五発連射で撃った。  前ダッシュに比べて、大きさと威力が違うものの、誘導性能はある。それに、向こうはランチャーを撃ったばかりだ。ダッシュ中ならば、そのあとに生じる一瞬の硬直の間にヒットするように計算されたものであった。  ……その動きに、明は眉をひそめた。  いくら戦闘においてのカンが冴えていて、なおかつそれを手助けするだけの腕をもっているとはいえ、恭介はそこまで計算高くはない。それに、いつもよりも回避行動がいい具合にできている。 「まさかとは思うが……時間がないかもしれないな」  そう言うと彼は、モニターに目をはしらせつつ手を動かして、自分の機体のモードを変更しはじめた。そろそろ上にいるもの飽きていたというのもそれを手伝っているのかもしれないが。 『さて、上の奴も動き出したぞ』  高度を下げてきたサイファーを視界のはしにとらえつつ、『彼』はつぶやく。感情を出さぬようにと押さえこまれている声の中には、隠すことのない歓喜が含まれていた。 『どうする?』 「目の前を片づける方がいいでしょう」  冷静な声で、彼女は言う。  それに同意するかたちで、『彼』は鎌を振った。そこより生じた衝撃波は、ちょうどぎりぎりの所でランチャー弾をかわしたテムジンへとせまっていく。 嘘だろ。おい」  ダッシュ硬直で足が止まっている状態では、避ける術はない。唯一の手段であるジャンプ回避も、すでに目の前に迫っていては、ままならない。しかも、今これを喰らってしまってはあとにめいいっぱい響いてしまう。……と言う風に、頭の中に流れ込んでくる情報に、恭介は困惑の色を浮かべた。  あれ? (俺ってこんなに判断よかったっけ?)  それは、明が浮かべた疑問とほぼ同じであった。  しかしその疑問は、いきなり起こった揺れによってあっけなくさえぎられる。  とっさに彼は、さっきスペシネフが放った光球の方へ先にぶつかって、衝撃波を避けたのではないか、と思った。  だがそれは、すぐ近くから聞こえてきた声によって、すぐに合点がいった。 『何ボケッとしてるんだ。らしくないぜ』 「ちょっと油断していただけだ。余計な手出しすんな!!」 『……時間がないんだ、俺もやらせてもらう。どうせ指揮者らしいこともしていなかったんだ、今さら加わったとしても、今とあんまり変わらないだろう?』 「──タッグを組むなら、最初からそうしてくれよ。ダメージ受けてんのは俺だけなんだぞ」 『それでも、シールド残量は70%はあるじゃねぇか。上等上等♪』  少し意地悪っぽい口調で明は言うと、同時にサイファーから5wayに放たれたダガーが、スペシネフめがけて飛んでいく。それに少し遅れて、テムジンが、威力を絞ったショットを連射する。  しかも二人とも、互いに言い争いをしながら、である。  その証拠に、お互いの通信はオープンになったままだ。  やけにコンビネーションがいいのはともかく、口げんかしながら動かしているという、妙な所はあるものの、動いていないよりはマシだろう……と思う。  テムジンとサイファーは左右に展開。すぐに攻撃を開始する。  高く跳躍したサイファーは、空中で左にダッシュをかけつつ、バルカンを速射。その弾がスペシネフをとらえる瞬間、さらに肩から四本のホーミングビームを射出。着地すると同時にまたダッシュをかけ、その場から移動した。そのままとどまっていても、狙い撃ちにされるだけだ。  一方テムジンは、サイファーがホーミングを撃ち出す瞬間に、前方へとダッシュ。スペシネフとすれ違う瞬間にソードを左から一閃。きちんとそれをガードした『彼』に次の瞬間、サイファーからはなたれていたホーミングビームが『彼』に向かって飛んでくる。  スペシネフは近距離での反撃を断念。すぐにダッシュをかけ、ホーミングを避けた。  だが、そこで『彼』は止まらない。完全に避けきったところで振り返り、ランチャーをかまえた。  しかし、それを撃つ前に、真正面からのバルカンの弾を受けてしまう。 『──!!』  驚愕の声をあげて、スペシネフがバランスをくずした。  そこへ再びはなたれたサイファーのダガーが、『彼』を襲う。  それでも何とか倒れるのをこらえ、スペシネフは跳躍。五本のダガーを全てかわし、着地と同時に、お返しとばかりにランチャーを撃ち、鎌へと変形させてそれを振った。  だが狙いがはずれていては、その強力なホーミング性能も無駄になってしまう。  やれやれというように、恭介は口を開いた。 「急にヘタになったなぁスペシネフ。  追跡してきた十数体のバーチャロイドを葬ってきたってのは、嘘だったのか?」 『何を勘違いしているのかはわからんが、私はそこまでの数を斬った覚えはない。……私が今まで倒したのは、わずかに七体だ』 「数が合わないな。じゃあその半分は、どこから出たものなんだ?」 『……簡単な話だ。それはレプリカのものだろう』  冷静な顔で、明はさらに続ける。 『ここへ来る前に、DN社のネットを見た。……すでにDN社は“レプリカ”のスペシネフを造りはじめていた。  だがそこに、バーチャロイドの命たるクリスタルは存在していない。だとしたら、ここにいる“オリジナル”連れてこなければならない。たとえ破壊されたとしても、バーチャロイドの意識と情報は、全てそこにある。それさえあれば、いくらでもレプリカを造り上げることは可能だ。  そして………』  そこで区切って、明は息を飲み込んだ。  スペシネフから吹き付けてくる強烈な殺気が、それ以上言うことを封じていた。 『彼』は小さく声をあげて笑いだした。  しかしその声は、どこか哀しい響きをもっていた。  ……ひとしきり笑ってから、『彼』は明の方に向かって口を開く。 『やはり知っていたのか。  それが、私たちが逃げた理由につながる』 「いまいち、俺には理解できん」  頭を悩ませつつ、恭介は言う。まあ普通ならば、それだけで理解できるわけがない。自分のセリフをきちんとそれを補足するようにして、スペシネフはさらに続ける。 『お前たちも、私と戦ってわかるだろう。この私の機動力と、攻撃能力を。  こんな奴のクリスタルをコピーして造り上げられたレプリカは、他のバーチャロイドの追随をゆるさないような、凶悪なものとなるだろう』 「いいじゃねぇかそれで。強いバーチャロイドの方が、何かと苦労しないですむじゃんか」 『それで済むのなら、私も逃げたりはしない。  ……ひとつ問おう。お前たちは、自分の機体の“オリジナル”を見たことがあるか?』  その言葉に、明は軽く肩をすくめると、 「オリジナルのことは、DN社の最高機密だ。見れるはずがない」  一度見ようとしたことがあるので、明ははっきりと答えられる。 『彼』はその答えを待っていたかのようにひとつうなずくと、 『見れるはずがないんだ。──私を含めた四体の“オリジナル”以外は、全て処分されてしまっている』 『!!』  あっさりと言ってのけるスペシネフに、二人とも驚愕の声をあげた。 『彼』はテムジンとサイファーから視線を離すと、さらに感情を押さえ込んだ声で言った。 『フェイ‐イェンknとエンジェランは、ゼロプラントのものだ。DN社でも勝手に破棄はできない。  ……バルバドスは、あまりにも個性が強すぎる。だから、女性型機体と同じ様なかたちで、一体一体オリジナルからコピーしていかなければならない。  それ以外のバーチャロイドは、複製されたレプリカからでもコピーすることは可能だ。だから、そのためだけのレプリカが一体いれば、それでいい。  そしてコピーが完成すれば、今度はオリジナルの存在が邪魔になる。  結果、『暴走を止める』といういつわりの題目のもとに、オリジナルを完全に消してしまうのさ』 「……」 「そんなこと、信じられねぇ」  半ば呆然とした口調で、恭介はつぶやく。『彼』が真実を告げているのはわかっている。だが、今自分が乗っているテムジンのオリジナルが、すでに破棄されていると言われれば、信じることができなくなる。  しかし、今こうしてスペシネフと対峙していることが、その証拠だ。  彼等は『暴走したバーチャロイド(スペシネフだ)の捕縛、もしくは破壊』という題目でここへ来た。それが何を意味するのかも知らないで。 『彼』が『捕縛』されれば、DN社に運ばれた後レプリカに複製され、その後に破棄される。『破壊』されたとしても、クリスタルだけは残る。そこから同じように複製して、クリスタルは破壊される。 “オリジナル”がいたという証拠を、何一つ残さないために。 『信じてくれなんて、言わないわ。だけど、それがわたしたちが逃げる理由よ』  しかしDN社はそれを認めてくれない。だから彼等は、何度も追手をこちらにさし向けている。 「──逃げちまえばいいじゃねえか。今なら、追う気もしない」 「恭介!! それは命令違反だ!!」  とっさにあげた明に、恭介は消えいりそうな声をあげた。 「こいつは暴走なんてしていない。正常な意識をもったまま追われる者だ。それを捕縛することも……ましてや、破壊することなんか俺にはできねえ」  レバーを握る手が、かすかに震えていた。DN社のやり方に、心が恐怖していた。  意識をもった“オリジナル”がいては、いずれは自分たちに牙を剥くのは自明の理。ならば、そうなる前に始末すればいい。──ただそれだけで、事は済む。 『やさしいのね、あなた。だけど、戦場でやさしさは無用の長物よ』 「恭介!! こいつらを何とかしなければ、今度は俺達が追われる羽目になる」  彼女と同時に、明は焦ったような口調で叫ぶ。それで恭介が納得してくれるはずはないを知っているから、いつもの冷静さが欠けてしまっていた。いつもの明からは想像できないくらいに。 「奴をどうにかできなかった俺達が、RNAの方に動くのを恐れて、か!?   笑わせてくれるぜ。結局おえらがたは、自分の身が大事なんだろうさ。  そのためだったら、他人もバーチャロイドも平気で始末していく。我が身に火の粉が降り懸からないように、また巧妙に策をねりあげてな!!」  彼のせりふに、明は息を飲み込んだ。  いや、正確にいうならば、こちらに銃口を向けているテムジンにだ。   「……明。お前は帰れよ。お前まで追われる必要はないだろう。逃げるだけなら、俺だけでも充分だ」 『その前に恭介。こっちに突きつけているライフルを、下げてくれないか?』 「ライフル?」  目を見開いて、彼はテムジンの右手を見た。  その時、何故か彼は自分の右手を胸の前に持ち上げていた。同時に視線が、自分の右手へといく。そこで、自分の右手がテムジンの右手とライフルが重なった。  ……そこで気づいたのだ。  自分の動きひとつひとつが、意識の全てが、『テムジン』と同調していることに。 「なんだっていうんだよ!?」  うわずった声をあげる恭介に、明は口を開いた。 『そのバーチャロイドが、自分の中へパイロットの意識を求めている』 「意識を?」 『そうだ』  明はひとつうなずいて答え、サイファーのマルチウェポンをテムジンの方に向けた。 『オリジナルから複製されたレプリカのクリスタルに、オリジナルの『心』がひとかけらでも写りこんでいたとすれば……。虚ろな心は、完全なる『意識』と『心』を求めて、自分の中に乗ってきたパイロットを自分と一体化させてしまう。自分がオリジナルに近づくために』  そこでワザと区切って、彼はスペシネフを見た。その意味ありげな視線を感じとったのか、スペシネフがひとつ身じろぎをする。  それをきちんととらえながらも、明は目を伏せた。……『彼』が反応してくれただけでも上等だ。  明は大きく、ゆっくりと呼吸して、皮肉気な口調で続けた。 『ここに証人がいる。レプリカではなく、正真正銘のオリジナルではあるがな』  言って彼は、自機のターボシステムを解除。即座にサイファーは、自動的にロックオンされていたスペシネフに向かって一条のレーザーを放った。少しの衝撃で後ろのつんのめるが、テムジンほどではない。  ……あっさりとレーザーをかわしたスペシネフは、サイファーに向かって、自分の羽から赤い光球を放つ。それは弧を描いてサイファーにぶち当たり、赤い光をまき散らしてあっさりとはじけてしまった。  一方のサイファーは、避けるそぶりを見せなかった。その球体自体にダメージはそんなにないと思ったのだろう。  だがそれは、後に後悔することになるのが…… 「彼、わたしと同じことしようとしていたわよ」 『仕方ないさ。同じ『アキラ』なのだからな』  彼女の言葉に、スペシネフはあっさりと──あきれたように答えてやる。  クスリッと笑って、彼女……アキラは恭介の方に向かって口を開いた。 『覚えておいてね。わたし達がいたことを』  ──なに!? 『覚えておいてね。『彼』の慟哭を』  ──何を言ってるんだ、あいつは?  その疑問が、恭介を攻撃に移せなくする。もちろん、すでに恭介と同調しはじめているテムジンも、攻撃を行わない。  ただアキラの言葉に耳をかたむけるばかりであった。 『あなたは変な人ね。失わせたはずの『心』を、わたしに思い出させてくれる』  そこで彼女は目を伏せた。  そしてもう一度目を開けた時──それが恭介の目にとまるわけないが──彼女の目に光が宿っていた。それも、例えようのない哀しさを秘めた瞳であった。  そのまなざしを変えぬまま、彼女はスペシネフに言った。 「行きましょうスペシネフ。  いつかたどり着く『自由』のために」 『ああ』  彼女に小さく答えると同時に、『彼』はランチャーのにぎりを強く握った。小さく空気の漏れる音とともに、ランチャーの銃口が、鎌へと変化。それを高くかかげると、スペシネフは呪詛のつぶやきのように言った。 『行くとするか。わたしたちの運命の糸を断ち切るために』 「ええ」  小さく微笑んで、彼女はそれに答えると、また目を伏せた。そうすると、頭の中に『彼』の情報が流れ込んでくる。……シールド残量は、すでに50%をきっている。まあ、これは仕方のないことだ。  スペシネフはその脅威的なスピードを得るかわりに、その身は極限まで軽量化されている。もちろん、代償は自分の防御力の低さにきている。普通の機体ならばちょっと痛いくらいのものでも、『彼』にとっては1.8倍くらい増幅されたダメージがはいってしまうのだ。  しかし『彼』には、それを補うだけの機動力と攻撃力をそなえている。  そして、たったひとつの切り札も。 『切り札は、まだいいだろう!?』 「二体を相手に、それはできないものね」  確認をとってきたスペシネフに、彼女はあっさりと同意する。  そうやって話をかわしている間にも、スペシネフは鎌を振り、光球を放っていく。  それをぎりぎりで避けながら、明はダガーを撃とうと、左のトリガーを引いた。  しかし……  サイファーからダガーは射出されなかった。 「不発!?」  バカな!! という顔で、明はもう一度トリガーを引く。だが、サイファーはなんの反応も示さない。 「封印球……。ターボショットか!!」 『ご名答。当分、左のトリガーは使えない。  二対一なんだ、これくらいのハンデは、認めてくれるだろう?』  からかうような口調で、スペシネフは言う。  同時に、一瞬の隙をついて、ランチャーを一発、サイファーの体に撃ち込んだ。 「──!!」     予想よりも大きなショックに明は何とか耐え、即座にレーザーを撃つ。  だがそれはまったくかすりもしない。  ……そこへ、もう一条のレーザーがスペシネフの目の前を横切った。  これはもちろん、テムジンのはなったものだ。 『おもしろい!!』  言うと同時にスペシネフは、ダッシュ方向を変えて、目の前にせまったテムジンに向かって右薙ぎに鎌を振った。  鎌の刃がテムジンを襲うが、テムジンは手早くガード。スペシネフが鎌を振り切るのを見はからってから、クイックステップ。即座にソードで薙いだ。  だがそこに、スペシネフの姿はなかった。 「はずしたか!!」  胸中で舌打ちをして、恭介は叫ぶ。しかし、そこであわてることはしない。彼の目はすでに、スペシネフをとらえていた。  内部モニターは、スペシネフの姿をとらえていないが、自分の機体の状況が文字どおり手にとるようにわかっている今、テムジンの目で相手をとらえることなど、彼には造作もないことだ。  だが、その状況を映す彼の目は、何故か哀しさに彩られていた。  一方明は、ようやっと回復した左トリガーとともに、恭介の援護にまわっていた。  断続的に飛んでくる弾をきちんと避け、恭介とはワンテンポずれるようにして、バルカンやホーミングを撃っていく。  そして。  明はタイミングを見はからい、5way、7wayにダガーを、スペシネフに向かって速射する。通常ならば片方しか出せないダガーも、ちょっと手をくわえれば増やすことなど簡単だ。   これなら、あのすばしっこい奴をとらえられるかもしれない。小さくそう希望していた明は、すぐに動くことを忘れていた。  ……せまりくる12本のダガーをうっとうしく思ったのか、『彼』は自分の人差し指をそのダガーの一点に向け、明に向かって叫んだ。 『邪魔だ!!』  その言葉に従い、“何か”がダガーをけちらしつつ、サイファーの方にものすごいスピードで飛んでいった。  とっさに明は、それがなんなのか、皆目つかなかった。  そのために、一瞬の判断がにぶり、回避行動が遅れてしまう。  それでも何とか跳躍するが、すでに遅い。  ダガーをけちらした“何か”は、サイファーの右脚を斬り落とし、はるか遠くへと飛んでいった。  「──っ」  着地と同時に、片脚を失ったサイファーは転倒。     明はその時、自分の判断の悪さを呪いながら、すぐ近くに立ったスペシネフの方を見た。  自分の方に振り下ろされる鎌をとらえつつ、彼は、スペシネフがその背に羽を背負っていないことに気がついた。同時に、サイファーの脚を切り落としたのがそれであったことにも。 「羽のことを、忘れていたな」  明は小さな声で、自分に毒づいた。  だが、彼の意識もそこまでしか続かなかった。 「これで、あと一体」 『彼』の背に羽が戻ってきたのを見て、彼女は小さくつぶやいた。そこにはなんの思いも含まれてはいなかった。  ただ口にしただけ……そんな感じの、いつもと変わらぬ口調であった。 「スペシネフ」  あらたまったように、彼女は『彼』の名を呼んだ。だが、スペシネフは答えない。  なんとなく、彼女の言いたいことがわかっていたからだ。  だから、黙って耳をかたむける。  それを知ってか知らずか、彼女は少し沈黙してから、さらに続けた。 「次に彼が何か仕掛けてきたら、ガードのあとにリミッターを解除して」 『私はかまわないが……後悔しないな?』 「わたしは、あなたに逢ったときから後悔しないって決めてる。……だから、お願い」 『了解』  言ってスペシネフは、テムジンの方に目を向けた。  恭介は、言いようのない怒りがこみあげてきていた。  その怒りの矛先は、どこでもなかった。  スペシネフにでも、そのパイロットにでも、ましてや、自分自身にでもなかった。  しかし、内心でふくれあがった怒りは、そのまま恭介を攻撃へとかりたてた。 「ああぁぁあぁぁぁぁっ!!」  恭介の絶叫とともに、テムジンは跳躍。すぐに前ダッシュをし、そこから器用に横へと一回転。その間にテムジンは、変形し、巨大化したライフルの上に乗り、スペシネフを照準。  刹那。テムジンはエネルギーフィールドをまとうと、スペシネフに向かって突進を開始した!  それを見て、スペシネフが苦笑いを浮かべる。 『まさか、ラムでくるとは思わなかったよ』  ラム……サーフィングラム。これがテムジンの切り札のひとつ。その技の脅威的なのは、攻撃方法でも威力でもない。相手を自動誘導して追い、撃沈するその恐ろしいまでのホーミング性能だ。  しかし今回は、その凶悪なホーミング性能はいらなかった。  テムジンから見て、スペシネフはちょうど真正面に立っていたからだ。 『彼』は撃ち落とそうとするわけでもなく、ただ棒立ちになっていた。  今さら恐くなったわけでもないだろう。  だが、これが直撃すれば全てが終わる。  ……この馬鹿らしい茶番劇に、幕がおりるのだ。  と、その時。 『これを当ててしまえば終わる。なんて考えてるだろう? それは甘い』  突然響くスペシネフの声。  そこには虚勢も強がりも、まったく含まれてはいなかった。   その証拠に、スペシネフは自分の腕を顔の前に交差させ、数コンマ秒後にきたサーフィングラムを完全にガードした。とはいっても、そこは軽量級。そのショックで片腕のアーマーがはがれてしまう。  さすがに、無傷ではすまなかった。 『落とせぬものなら防げばいい。……誰かさんが言ってただろう!?』  皮肉った口調で、スペシネフは言う。  気のせいかその目は、先ほどよりも冷たく感じられる。  そしてそれは同時に、ひとつの予感を彼の中にひらめかせてくれた。  奴はとっておきの切り札を出そうとしているのではないだろうか!?  だとしたら、出されてもそこで防いでしまうのが一番だ。 「いつでもきな。たたっ壊してやる」  言うと同時に、テムジンはライフルをかまえた。とはいっても、先ほどのサーフィングラムのおかげで、ウェポンのチャージが充分ではない。ヘタに撃てばこちらがやられる。  瞬時にそう判断すると、テムジンはそのままで待機。スペシネフの出方を待った。  一方スペシネフは、もう一度彼女に問いかける。 『リミッターを解除して、本当にいいのか?』 「もうわたしたちも限界よ。これ以上長引けば倒されるのはこちら。  だとしたら、先に討つしかないでしょう!?」 『成功すればいいが、もし失敗したらもお前も私も、この世界から消失する』 「それでもかまわない。あなたがいるならね」  そう言って、彼女は小さく微笑んだ。こんな状況下におかれても、彼女は『笑って』いられる。それは、『彼』と『彼女』のなかで唯一共通する、強さというものであった。  ……スペシネフは体内の攻撃システム、防御システムの制御リミッターを解除。自分が動き出してから数秒後に、残りのリミッターを解除するように設定する。  これでもう、後戻りはできない。 『時間は13秒。これ以下の時間で奴を倒せれば、機体にかかる過負荷に耐えることは可能だ。  しかし、それ以上はもたない。……なんとか終わらせてくれよ』 「了解」  おそらくこれが、最後の会話になるのかな……。  ふと彼女は、そんなことを思ってみる。もちろん、らしくないのはわかっている。しかし、もしもテムジンを倒すことができなければ、その身は灰と散る。そして、自分たちのいた証拠が何もなくなってしまう。という先を考えてしまえば、おのずと出てきてしまう言葉であった。 「じゃあ、行きましょう」  言うと同時に、スペシネフは動き出した。  時を同じくして『彼』の体内リミッターが少しずつ解除されていく。  そして、彼女の頭の中に浮かんだ『DEATH MODE』の文字は、そのまま彼等の生と死の狭間を意味するものであった。  今だ動きを見せないスペシネフに、恭介はいらだちながらも、別のことを考えていた。 (明が起きていたら、ここで“パイロットらしくない”って言われんだろうな)   内心でつぶやき、彼は苦笑を浮かべた。もちろん、明のことが心配ではあるが、明は見た目の細い体つきの中に、きちんとした丈夫さをもっている。損傷を受けたのがサイファーだけであるのなら、そのうちひょっこりと起きあがってくるに違いないと思っている。  とその時、頭の中で警報が鳴った。  それを合図に彼は、意識をスペシネフの方に向けた。  ……ちょうどその時、スペシネフが大きく鎌を振ったところであった。 「っといけねぇ」  恭介の目はすでに、せまりくるエネルギーカーテンにそそがれていた。先ほど見た数回よりも、はるかに大きなエネルギーカーテン。これが直撃すれば、ただではすまない。彼は瞬時にその軌道を読み、すぐさま回避に移った。  しかし今までとは違い、ここでいきなり変化が起こった。  テムジンの横を通りすぎていくはずのエネルギーカーテンが突然、三本にわかれて、テムジンを囲むように正面、右側、左側へと高速で動いていった。  それは恐ろしいほどの軌道修正をかけ、テムジンに襲いかかった! 「なっ!!」  驚愕の声をあげながらも、彼はすかさずダッシュ。三本のうち二本をなんとか回避し、一本だけ直撃を受けてしまう。が、三本に分裂したせいで、ダメージは微々たるものでしかない。  ……鎌を振ると同時に、スペシネフはダッシュ。先ほどよりもはるかに早い速度で、テムジンとの間合いをつめていく。  その早さを見、テムジンは再度ダッシュ。脅威的なスピードで向かってくるスペシネフと交差した瞬間に、ライフルを立て続けに二発撃ち込む。 その二発ともスペシネフに直撃するが、そのままカウンターでスペシネフはランチャーを撃った。銃口は、ぴたりとテムジンを狙っていた。普通ならばその状態の時少しでもダメージを受ければ照準はずれ、弾はあさって方向にいってしまう。だが、まったくずれることのないスペシネフの弾は、テムジンの左腕を直撃した。 「ライフルを無視しただと!?」  信じられないという表情で、恭介は叫ぶ。  ものはためしとばかりにもう一度撃ったライフルも、やはり同様であった。弾を弾くのではなく、ダメージそのものを無効果しているのに気がつくと、恭介はぼやいた。 「ちぇ、冗談じゃないぜ」 『冗談には聞こえないでしょう?』 「うるせぇ!!」  いきなりツッコミをいれてきた彼女に、恭介はきちんと返事をし、再び攻撃をはじめる。  しかしそこに再び、三本のエネルギーカーテンがいきおいよく飛んでくる。  これは先ほどとは違い、ただ一直線に飛んでいくだけだった。 (フェイクか)  そう思ったときに、彼の背中を悪寒がはしった。  なんとはなしに振り返ると、そこには巨大な球体がふよふよとただよっていた。……いつの間にかスペシネフから放たれていた誘導弾であったと気づいたときには、その球体がテムジンに直撃。闇をまき散らして、球体は消えた。  闇のかけらが完全になくなって、前を見たとき、スペシネフの姿はなかった。  そして、背後から殺気がする。  ──本命はこっちか!!  ソードを振りながら後ろを向くと、目の前にせまった三本の爪があった。  とっさにテムジンは、ソードを振りつつ後ろに跳びその爪からまぬがれた。振ったソードはスペシネフの左胸を斬っていたが、深手にもかかわらず、『彼』はへいきな顔をしている。  化け物か、こいつは!?  そんなことを思いつつ、再び消えたスペシネフを、彼は目で追った。だがその彼の目の前にまた、巨大な闇の塊がただよっていた。  それをソードで切り裂き、テムジンは目をはしらせた。  ちょうどそこへ、クイックステップで回り込んだスペシネフが鎌を振り上げる。 (こいつは、まずい!!)  口の中でそう言い、すぐさま手を動かした。だがそこで彼は、一瞬だけ迷い──ガードすべきか、カウンターをぶつけるべきかで──反応ができなかった。  ただ目だけが、振り下ろされてくる鎌の刃をじっと見るだけであった。    だが、スペシネフの鎌の刃がテムジンにくい込む寸前で、『彼』の動きがとまった。  その状態で数秒間制止したあと、スペシネフの右腕が、音もなくはじけ飛んだ!! 「スペシネフ!!」  我知らず、恭介は叫んでいた。  その彼の目の前で、次々と爆発を起こすスペシネフの体。  ──どうやら、時間が来ていたらしい。  強力な過負荷で、自分の体が限界をこえてしまったのでは、自滅以外に道はない。 『彼』の左手から離れた鎌が、地面に転がった。すでに装甲はほとんどはじけ飛び、頭部以外はむき出しになっていた。  それでも『彼』は膝をついて、残った左腕だけで自分の体を支えていた。……まるで、倒れ込むことを拒むように。そして、しっかりとその顔はテムジンをの方を向いていた。  ……その顔は、心なしか笑っているように、恭介は思えた。 「……」  無言のまま彼は、壊れていくスペシネフを見つめている。  そこへ、『彼』と彼女の声が聞こえてきた。 『終わっちゃうね』 『ああ』 『でも、あなたは生き続けるわ。レプリカにそのまま複製されて』 『それは私ではないよ、アキラ。なにしろ、お前がいないからな』 『……それもそうね』 『だろう?』 『……』 『………お前に逢えて、よかったよ』 『わたしもよ』 『それじゃあ、またな……』 『それじゃあね』  その言葉がとぎれると同時に、スペシネフは地面に倒れ込んでいた。 『結局、勝ち逃げされちまったか』  片脚でなんとか立ちつつ、明は言った。支えになるものがないのでバランスが悪い。それでも、器用にテムジンの横へと移動し、バランスをくずさぬようにして、スペシネフを……いや、『スペシネフ』だったもの見下ろした。  すでに『彼』の体は残ってなく、残っているものといえば、ロングランチャーとクリスタルをおさめているVコンバータだけで、あとはそのまわりに黒金色の小さなかけらがつもっていた。 『とりあえず、これを持って帰るか』  苦い口調で言う明をさえぎり、突然、テムジンがソードを振り上げた。  狙う先は、唯一残った『彼』の命の源だったもの──Vコンバータだ。  それを見て明は、サイファーのマルチウェポンからソードを形成し、テムジンに突きつけた。 『どういうつもりだ?』 「これ以上、こいつに『痛み』を増やしたくない。だから……クリスタルを破壊する!!」 『馬鹿なマネはよせ!!』 「……じゃあ、どうすればいいんだよ」 『あいつがいたという証拠を残すのさ。レプリカに複製するというかたちでな』 「だが、クリスタルが、そのあとに破壊されてしまう」 『──クリスタルを破壊することは出来ない。今の人間の力ではな』  明はいつものように冷静な声で言った。しかし、それをつむぎだした彼の唇はかすかに震えていた。彼は『スペシネフ』の残骸の中に、パイロットの姿がないことに気づき、自分の中で結論に達したときに、あらためて恐怖した。 『スペシネフ』はパイロットの意識も心も……その肉体も全て、おそらく自分でも気づかないうちに取り込んでしまっていたのではないだろうか? だからこそ、その情報をレプリカにコピーしたくなかったのではないだろうか。  しかし、いくら考えても、それを裏付けるものは何もなかった。 「なあ明」 サイファーがVコンバータをかかえ、テムジンがロングランチャーを手にしたとき、恭介が重い表情で口を開き、明に尋ねた。 「なんで、いきなり終わっちまったんだ?」     それに対し明は、包み隠すことなく全てを話した。  スペシネフの切り札『DEATH MODE』のことを。 『体内にあるリミッターを全て解除し、自らのポテンシャルを最大限に引き上げる。その状態の時、自分の体に攻撃が効かなくなり、自分の機能は、おそらく通常の倍以上にもはね上がる、まさに魔性の技。  だが、一定の時間をすぎてしまえば、全身に過負荷がかかり、自らの体がそれに耐えられなくなる。  ……その結果がこれさ』  そう言って彼は、もう一度足下のかけらを見つめた。  しかしそのかけらもまた、電子の風に吹かれ、どこへとなく消えていった。  片脚を失ったサイファーを小脇にかかえ、テムジンはかなりの高さを飛んでいた。  お互いに重苦しい空気に押され、話し出すきっかけが見つからず、恭介はロングランチャーを見るたびに、明はその手に持ったVコンバータを見るたびに、心の痛みに襲われていた。  ふと恭介は、小さく口を開いた。 「あいつは、幸せだったのかな?」 『あいつ?』  その小さなつぶやきに、恭介は重い口調でさらに続けた。 「こんな風にあっけなく人生の幕をおろして、スペシネフと同化してしまって、あいつはなんとも思ってなかったのか、ってことだよ。  それであいつは幸せだったのかな?」 『あいつ自身言ってただろう。……『奴』に逢えてよかったってな』  言って彼は、もう一度Vコンバータを見る。  クリスタルは今も回転を続けていた。肉体を失っても、心と情報はきちんと残っている。だがこのあとすぐに破棄されることにはかわりない。  しかし今は、これを持ち帰らねばならない。  たとえこのあとにコピーされたレプリカが、心を求める孤独な暗殺者になるとしても、これだけの機動力を持ったものを捨て置くわけにはいかない。 (あ。いかんいかん)  今はそんなことを考えてはいけないな。  普段の計算高さが仇になったのか、明はめずらしく自己嫌悪していた。ここで一発、恭介にからかってもらえば一番なのだが、そのムードメーカーの恭介は、哀しい目をして、ずっとスペシネフがいたあたりを見つめていた。  ──本当に、あいつらは幸せだったのだろうか?  消えることのないその疑問が、ずっと彼の中で渦巻き、そのたびに心が痛みをおこしていた。  その後、持ち帰られたクリスタルをもとに、レプリカへの複製作業がすぐに行われた。  作業は急ピッチで行われ、何事もなく順調に進み、ほぼ成功すると思われていた。しかし、コピークリスタルの最終チェック段階で、突然、異常が発生。  そのせいで、開発部はプログラムの大幅変更を余儀なくされ、それから作り出された“レプリカ”スペシネフは、“オリジナル”よりもはるかに機動力の落ちたものとなってしまった。と報告された。  ……後に、DN社のネットラインで、奇妙な事件が表示されていた。 “オリジナル『スペシネフ』のクリスタルは、レプリカに複製され、破棄される前に突如消失。  ──この事にDN社は手を尽くして探したが、誰もその行方をつかむことが出来ずに、そのまま闇に葬られた”と。  それを数日後に明の口から聞きながら、恭介は『彼女』の言ったことを思い返していた。 『覚えておいてね。『彼』の慟哭を』  ──大丈夫、ちゃんと覚えているよ。 『覚えておいてね。……わたしたちがいたことを』  ……忘れられるわけないよ。それに忘れたくないよ。これから先もな。  心の中でいつまでも語りかけてくる『彼女』の声に、彼は虚ろなまなざしで何度も、何度も同じようにして答え、そのたびに一粒ずつ、涙を流していた。                            〜END〜     98.8.4 Saya.Hisame あとがき 「こんにちはー。アキラでーす!!」 『スペシネフでーす!!』 「二人あわせて……」 『とりあえずあなたを呪っちゃえーズでーす!!』 「ねえねえスペシネフ。わたし、こんなもの預かってるんだけどさ」 『どれどれ。えーと…… “親愛なるキャタクターへ。旅に出ます、探さないでください。by作者”  ……なんだこれ?』 「これから察するに、わたしたちにあとがきを頼んでるんじゃない?」 『それだったら、俺達二人で好きなようにやってくれってことだろ?  だったらこれしない。俺達二人のコント!!』 「あ、それいいね♪ たっぷり10ページくらいで……」 「だれがやらすか!! オラタン名物、はりせんダッシュ切り!!」  すぱぁぁぁぁぁぁんっ!! 「あいたたた」 『げっ……旅に出たはずの作者が何故ここに!?』 「なあに、その『げっ』ていうのは。  少し心配で戻ってきたら、あたしに黙ってコントをするつもりでいたのが見えたっていうわけ。  スペシネフ〜ただでさえ疲れてるんだから、そんなことしてる暇ないの」 『了解』 「なにさ、ここまでつめたのが悪いくせに」 「悪口いうのはこの口かしら〜、アキラちゃん。誰のおかげで出て来れたと思ってるの?」 「そのわりには、あっさりと殺してくれたじゃない」 『しかも、あんな自滅技で。ついでに数ページで』 「デスモードが13秒だっていうのは、あんたが一番わかってるでしょうスペシネフ。たった13秒しかないのに、5ページも6ページもいかせるわけにはいかないの」 「実はそこまで思いつかなかったんじゃあ……」 「な〜ん〜で〜すって〜!!」 「あ、図星だ」 「でぇぇえぇい、ダブルドラゴン!!」 「あ〜ずるいよ。スペシネフ使いのくせにー!!」(言いながら、ダッシュで逃げる) 「はあっ、はあっ。当分逃げ回ってな!!」 『お前、自分の分身になんてことを』 「しょせんは分身だから何をしてもいいの。ま、そのうち戻ってくるでしょう」 『うっわー、笑い事にしようとしてるぜ、こいつ』 「スペシネフ。あんたにはアジムを呼んだげましょうか?」 『……俺が悪かったよ』 「わかればよろしい」 『なあ。これってバットエンドな終わりかたなのか?』 「まーね。恭君と明君は、わだかまり残したままだし、あんたとアキラちゃんは多分死亡。DN社にもちょっぴり被害を与えたから、そうなるんじゃないかな。  でも、最初からそうするつもりだったから、いいの」 『まーたハッピーエンド嫌い病か!?』 「ま、そんなトコ。なんでもかんでもハッピーエンドにすればいいってわけじゃないからね。  あたしはあたしなりのやり方で書いてるの」 「じゃあ、デスモードも最初から?」 「なんだ、もう帰ってきたの。……そうだねぇ、この話に『Death Break』って題がついたときから、結末はこうするって決めてた。だけど、最初の設定とは全然違うのよね」 『本当は、もっとアキラに感情をつけてやるはずだった、か?』 「そう。はじめはスペシネフが勝手にアキラちゃんの心に侵入して、勝手に操ってるってやつを考えたんだけど、それもありがちだからね、変更しちゃった。  でも、これでよかったんだろうね」 『あ、めずらしくシリアスな作者』  すぱぁぁぁぁぁんっ!! 「うるさいよ!!」 『いちいち殴んな!!』 「何よ。文句でもあるの?」 『おおありだ!!』 「上等な答えね。それってこのあたしに勝負を挑むってことよね!?」 『ケッ!! 最近対戦で勝てないくせによ』 「なんですってー。……いい度胸ね表へ出な!!」 『望むところだ!!』 「……表ってどこよ。ったく、つきあってらんないわ。  ああ、そうそう。ついでに言っておきますが、デスモード時の三本分裂エネルギーカーテンは、実際にはでませんので、本気にしないでください。そんなものがあったら、スペはもっと迷惑な機体になってしまうでしょうし」 「……ってなわけで、あっという間にお別れだー」 『次は水戸黄門か?』 「あら、人魚姫とかもあったでしょう!?」 「いや別に、パロディものじゃなくてもいいけど!?  この話の続編みたいなものも書けるし、アキラちゃんサイドの話を書くことだってできるし……。  まあどれにせよ、あたしの執筆速度は遅いけどね」 『たしかに』 「それじゃあまた、どこかでお会いしましょう。  まずは、こんなつたない話を読んでくださった人全員に感謝します。感想やツッコミがいただけると、個人的には嬉しいですねぇ。他人の評価が自分にとって一番の報酬ですから。  というわけで、長いことおつきあいありがとうございました!!  あとがきメンバーは、作者こと自称陽気なスペ使い(嘘です)氷雨さや」 『そんな奴をパイロットに持つバーチャロイド、スペシネフ』 「そして、作者のほぼ分身、アキラちゃんでしたー!!」                                                           〜おわり〜